大人になるとはどういうことなのか。

20歳の誕生日を迎えて

久しぶりです。pompombackerです。

今日は僕の20歳の誕生日です。

年金とか。

独り立ちとか。

将来のことに胸を潰されそうな日々を送るのでしょうか。

正直20歳を迎えてあまり心地はいいものではありませんでした(もちろん僕にお祝いの言葉をかけてくれた人たちには感謝の意しかありません。ありがとう)。

就職したり公務員になったりして,社会に出るとなると今謳歌している学生生活とはまったく違った,時間の制約が厳しいものになると思うからです。

だから

別のやり方で社会に出たい

最近はそんなことばかり考えているような気がします。

そうなって来ると,「大人になる」とはどういうことなのか,という問題にぶち当たります。20歳という法律上定められた大人(民4条の「成人」)とは別のレベルのものである場合が人によってはあるからです。

この問題は,どんな方程式でも立てることができないだろうし,自分でしか答えを出すことができないものだと思います。

僕は「何が大人を大人たらしめているか」というあまり実生活に意味を見出すことができないことに対して多少なりとも興味・関心があるのですが,気長に解いていく問題だと設定しています。

その中で培われていくのが知性だと思うし,それは人間の欲望の中でもっとも大きいものの一つだと捉えているからです。

為せば成る。為さねば何とか成る

少し話が変わります。

ツイッターで見て少し現代特有の問題を見て思ったことを書いていきます。

現代は何が真実かわからない時代,ポスト真実です。当然僕らより前の世代とは価値観も生き方も変わって来ることでしょう。その中で何を信じるのか。どこへ向かうのか。

 

僕は現代を「万人の万人に対する闘争(bellum omnium contra omnes,a war of all against all」だと捉えています。

ホッブスリヴァイアサンですね。

元来のコンテクストの中ではこの言葉は市民権(自然法由来の人権)がない人々の状態を表したものですが僕は人権の自然法的性格に着目し,人権を「万人の所与」という側面から万人が真実を共有していない現代にも当てはまると思いました。

(真実がないという真実という面白いパラドクシカルな言葉を思いつきましたが多分あまり面白くないのでやめておきます)

さて,大分話が本題から逸れましたが,皆さんは今僕たちが生きている時代をどう捉えるでしょうか。

 

今日はここまでにしておきます。また。