熱帯夜とうなぎ

低気圧が出しゃばっている。

今日が札幌では今年いちばんの熱帯夜になるそうだ。

どうしたものか。

 

法学部の定期試験が終わった翌日から6日間,韓国へ学部の演習の一環で行った。

初めて韓国の地に足を踏み入れたのでなかなか良い経験になったと思う。

料理はキムチが辛かったけれどもインドのカレーよりかは体に合った。

 

 

社会問題化と司法の応答〜靖国合祀訴訟に関する一連の事例を参考に〜(1)

 今回の演習では8月7日の李さんとの面会が僕の中ではかなり衝撃的な経験になったように思う。

 彼女は2005年からのNOハプサ訴訟の原告であり,法学部生として恥ずかしいのだが,実際の訴訟の当事者に会って話を聞くということをしたことがなかったので李さんから「法に何を期待しているのか」,だったり「法に対しどのような感情を抱いているのか(法感情)」という大事な要素を少しでも掴めたのはこれからの勉強で大事にしていこうと思う。

 

Ⅰ はじめに

 

 NOハプサ訴訟(1審=東京地判平23・7・21判タ1400号260頁,控訴審=東京高判平25・10・23訟月60巻6号1219頁。なお第二次として1審=令1・5・28(未発表)がある)とは大日本帝国の植民地時代において朝鮮人の兵士が日本の英霊としてA級戦犯と一緒に合祀されている状況を良しと思わず,分祀を求める訴訟である。

 ちなみに朝鮮出身者の合祀者は2万1181柱に登るという(注1)。このような歴史的背景を持つNOハプサ訴訟の原告である李煕子さんとのお話の中で⑴靖国合祀はそもそも日本社会の中で社会問題になっているのか,という問いと⑵社会問題に法はどのように応答するのか,という問いを持つようになった。現在時点では⑴,⑵のどちらも答えを出せていない。しかし法が社会の中でどのような役割を持っているかを考える際にはなくてはならない論点であるように映る。

 

Ⅱ NOハプサ訴訟の経過とその後

 

 李さんの訴えは認められなかった。

 李さんの話によるとNOハプサ訴訟はいわゆる1円訴訟というもので,靖国神社に対して合祀の取り消しを求める訴訟であるという。李さんは訴訟を靖国神社に謝罪させるために行なっていたのだ。李さんは残された家族の気持ちと旧植民地の遺族としての耐えられない屈辱感を汲み取って欲しいと語った。

 李さんの法利用は法的紛争,例えば不法行為などによる紛争の終結,に謝罪という道義的な機能を付与されるのか否かが強く問われていると言える。これについては熟慮が必要だと感じる。

 また,李さんのNOハプサ訴訟は終了したが靖国神社の態度に「納得がいかないから[靖国分祀訴訟を他の当事者がやる際の応援を]やるしかない」([]内筆者補足)と言っていた。

 

Ⅲ 国際社会の関心と日本の「金太郎飴型」司法

 

 NOハプサ訴訟は日韓を跨ぐ国際的な訴訟であり,また両国の決して順調とは言えない時期での訴えであったから国際社会の関心を集めていたということは容易に想像できる(注2)。しかしこの事情にもかかわらず司法は従来のような「金太郎飴型」の判決をするに留まり,帝国時代の日本とその植民地であった韓国との関係に深く踏み込むことはなかった。このような日本の司法の態度に李さんは怒りを隠されておられなかった。

 前述した「金太郎飴型」の判決の雛型とは,もちろん自衛隊合祀訴訟(=最大判昭63・6・1民集42巻5号277頁,注3)である。事案は,クリスチャンであるXが,自衛官であり公務中に死亡した夫が山口県護国神社に合祀されたことに関して,山口県隊友会自衛隊山口地方連絡部がXの意思に反して共同して申請したことに対して,政教分離に反しまた自分の宗教上の自由ないし人格権などが侵害されたとして両者に対し損害賠償と合祀申請の取り消しを求めたものである。最終的に最高裁はXの請求を棄却した。「原審の宗教上の人格権であるとする静謐な環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは,これを直ちに法的利益として認めることができない」にも関わらず県護国神社の合祀申請を「自由になし得るところ」とする。すなわち裁判所は宗教的人格権は認められず,また被告の合祀申請行為に大きな宗教的意味合いはないので政教分離原則違反ではなく,その一方で「私人たる護国神社には個人を祀る宗教的自由があり,これに対して原告も寛容でなければならない」(注4)というものであった。これに対し,伊東反対意見は有名である。伊東最高裁判事(当時)は本件合祀申請行為を県隊友会と地方連楽部との共同行為と評価できるので,地連の行為は憲法20条3項違反であると判断している。当時の学界でも最高裁のこの判断は大いに批判されたようだ(注5)。

 上述のような大きな波紋を呼んだにもかかわらず,後の一連の靖国合祀訴訟で判決が昭和63年判決を援用する形で決着が付いている。

次節以降はこのような司法態度,すなわち裁判所の原告や国際的関心に対するある種の「鈍感さ」,の原因,そして日本社会の靖国訴訟に対する意識を考察していく。果たして原因は「判例の批判的検討」の欠如にあるのか。それとも日本の「司法消極主義」にあるのか。それとも他の何かなのか。

 

1)この数字は2019年7月23日に開かれた北大民法理論研究会における吉田邦彦教授(民法)の報告による。 

2)例えば,当時首相であった小泉純一郎北朝鮮に対する2002年,2004年の訪朝は,2001年の9・11テロの後であることもあいまり独特の緊張が漂ったと推測できる。

3)以下,赤坂正浩「判批」別ジュリ49巻4号(2013年)100頁を参考にした。

4)木庭顕『誰のために法は生まれた』(朝日出版社,2018年)345,346頁。

5)本稿は判例批評・学説紹介の場ではないからなるべく立ち入らないようにするが,芦部信喜最高裁の共同行為性の否定を批判し,伊東反対意見を妥当だと見なしている(芦部信喜憲法〔第6版〕』(岩波書店,1992=2015年)163頁参照)。また星野英一靖国神社の合祀行為には「英霊」という独特の意味合いがあるとし(星野英一自衛官合祀訴訟の民法上の諸問題」法学教室96巻12号(1988年)20頁),最高裁が判断した宗教意識の希薄さを否定する。

 

 

 

ヘイトスピーチの相対化と法〜東アジアの歴史認識を巡って〜

これは僕が8月6日に済州大で発表したスピーチの内容である。

英語で発表したがもともと日本語で書いたので日本語で載っけておく。

 

Ⅰ はじめに


  グローバリゼーションが進行した世界の中で人種・民族・国籍・信仰が異なる「他者」と接する機会が多くなってきたように感じる。もっとも,グローバリゼーションが到来する前にも日本は長らく朝鮮・中国といった東アジアの国々と交易を交わしてきた。そして太平洋戦争での日本軍の大陸への蹂躙に代表されるような帝国主義により韓国人・中国人を日本へ強制的に移住させたのはまぎれもない事実である。このような不正義から70年という月日が経った現代では歴史的経緯により日本に移った在日朝鮮人・中国人に対しての排斥を訴えるヘイトスピーチがネット空間を中心に差別的な言動は蔓延する。この原因と日本社会の中でマイノリティーである在日朝鮮・中国人に対してマジョリティーである日本人がどのようにコミュニケーションできるかについて,その意義と限界を探っていきたい。


Ⅱ  「ヘイトスピーチ解消法」の意義と限界


  ヘイトスピーチの定義そのものは確立した定義がないとされているが(榎,2017年:26頁),本稿ではマジョリティとは異なる人種・民族・国籍であるマイノリティに対する暴力的ないし侮辱的で他者を排斥する旨の発言とする。日本では2012年の李明博元大統領の竹島上陸以来保守系団体による在日韓国人排斥を訴えるデモが東京・大阪などの大都市圏で行われた。これが社会問題化して日本ではヘイトスピーチの問題として表面化した。これを受けて2016年には国会ではいわゆる「ヘイトスピーチ解消法」が立法された。

  これに対応して行政もヘイトスピーチ等の抑止を目的とした対応策を講じている。例えば新聞広告やポスター等による啓発,ユーチューブなどの動画投稿サイトでの「ヘイトスピーチ」に対する削除申し立てが挙げられる。

 司法もこの法を用いてヘイトスピーチに対する法的な処分を下している。例えば,横浜地裁は2016年に違法性の顕著なヘイトデモをする蓋然性が高いことを理由に川崎市内のヘイトデモを事前に止める仮処分命令を下した。

 しかしながら公的な権力によるヘイトスピーチの規制を行ってもヘイトスピーチが無くなるわけではない。実際2019年現在でも在日韓国人に対する差別感情は消えていない。また,2015年の日韓両政府の慰安婦問題に関する「最終的不可逆的な」合意がなされた後の安倍首相のFacebookへの反韓感情むき出しの書き込みはヘイトスピーチとは無関係ではないように映る(樋口,2019年:74頁)。つまり憲法で保証されている「思想の自由」とヘイトスピーチ解消法が目指す「ヘイトスピーチの撲滅」の対立という二元的な構図では成り立たないところにヘイトスピーチの核心は存在する。それは日本と韓国の歴史認識の相違であるし両集団のコミュニケーションである。


Ⅲ  正しい「歴史認識」とコミュニケーション


  日本の韓国・中国に対する差別的に見える発言は全て間違っているとは言えない。もちろん,おおよそヘイトスピーチと客観的に判断できるものは何かしら誇張が存在しその結果ヘイトスピーチにつながると言える。しかしながらその原因は歴史認識の欠如のように見える。すなわち歴史認識の相違という社会的問題が「ヘイトスピーチの規制」という法的問題に転移したのだ。法は複合的な問題を〈法/非法〉という画一的な論点に絞ってそれを規制する機能を持つが故に論点がすり替えられてしまうこともある(尾崎,2017年:8頁)。その結果前述したようなヘイトスピーチ解消法の限界は当然生じると考えなければならない。

  こうした複合的な問題には往々にしてコミュニケーションが処方箋とされる。コミュニケーションをすることは日韓相互の歴史認識を共有することに意義がある。昨今のネット空間を見る限りネット右翼は「仲間内」でヘイトを吐いており,また左翼もしかりである。その言説は集団内でエスカレートしていき,ヘイトスピーチとして表面化する。他者とのコミュニケーションはこれに待ったをかけるのだ。

 コミュニケーションという相互行為は間主観的な「正しい」歴史認識をするための両者の認識差異を知る上でも重要になる。今,「正しい」歴史認識と言ったが,一般的に現在の人間が過去のある一時点の出来事を完全に再現して記述することができない。大体の事実の共有はできるものの,細部まではしぶとい対立が生じるだろう。その上で歴史を〈構築〉していくのだと僕は考える。例えば,「Aが起こったからBが起こった」という主張がどれほど説得力もつかに関しては「AではなくCが原因だ」とも言える(ラッセル・テイラーのパラドクス)。また,当事者間の利害・歴史認識にしても差異が生じるだろうし,そもそもの因果関係の捉え方自体でも差異があるかもしれない(北田,2010=2018年:123-154頁)。このような状況の中で構築される「正しい」歴史認識は真実ではなく各々の認識の妥協的な共有と言わざるを得ない。

  しかしながらまずコミュニケーションそれ自体に困難性が生じることは考えられる。例えば相手が話す言葉とそれに基づいて行う言葉の解釈は異なる場合がある。相手が考えていることを想像して導き出されるものはメタレベルの相手の考えに過ぎない。また,そもそもコミュニケーションができないが故に複合的分断が生じていると言えるかもしれないが。このようなコミュニケーションの本来的な困難性は認めざるを得ない。しかし,そもそも〈透明なコミュニケーション〉の場として期待されていたインターネット空間ですらヘイトの巣窟になるのだから,この差異を差し引いたとしても他者と関わるコミュニケーションの機会を設けるだけでも改善されるように思える。


Ⅳ  おわりに


  本稿ではヘイトスピーチに対する法の意義と限界,そして東アジアの差別問題に対する問題の所在の転移を述べた。このような複合的な問題に対してコミュニケーションを通じた価値の中和を目指すのはしばしば掲げられることだがそれ自体の困難性がつきまとうことも述べた。しかしまずしなければならないことは客観的な事実を他者との対話を通じて《構築》していくことである。


参考文献

榎透「ヘイト・スピーチ,ヘイト・クライム規制」法律時報1115号(日本評論社,2017年)26-31頁

大沼保昭『「歴史認識」とは何か』(中公新書,2015年)

尾崎一郎「複合的分断と法」法律時報1115号(日本評論社,2017年)7-12頁

北田暁大「歴史的因果の構築」『社会制作の方法』(勁草書房,2018年)123-154頁

樋口直人ほか『ネット右翼とは何か』(青弓社,2019年)