社会問題と司法の応答(1)

Ⅰ はじめに


 法は道徳と繋がりがあるか否かは,法理論における古くて新しい問いとしてしばしば位置付けられる。このおおよそ答えのない問いは,近代に至り共同体が融解し各人が自由で平等な主体として存在している以上,絶えず問われ続けるように思う(注1)。また,法が社会の中で自律性を持った法として機能している以上,社会の病理たる社会問題に対しても法は敏感に対応しているのかという問題も出てくる。

 本稿はこれらの問いを考えるささやかな事例として,靖国神社分祀訴訟を取り上げる。具体的には,2007年から始まった元日本軍人軍属の遺族である李煕子氏が靖国神社に対して提訴したいわゆるNOハプサ訴訟の判決(Ⅱ),一連の靖国訴訟の雛型となった自衛隊合祀訴訟(Ⅲ)を検討した後,日本の司法を考察していく(Ⅳ)。具体的には,裁判所における判例の位置を考えながらNOハプサ訴訟の判決の原因を①「判例の批判的検討」の欠如にあるのか,②日本の司法消極主義にあるのか,を中心に考察する。その後,日本において判例形成による被害者救済を行ってきた一連の公害訴訟と比較しながら,NOハプサ訴訟の目的である謝罪すなわち道義的態度の要求は,果たして法的コミュニケーションに馴染むのかどうかを批判的に検討する(Ⅴ)。ところで,2000年以降東アジア諸国から日本は総理大臣による靖国神社の参拝などにより大きな非難を浴びてきた。それにもかかわらず日本社会の中では靖国問題は議論されていない,あるいは話題にすることを忌避しているきらいがあると日本人である筆者は肌身に感じる。とりわけ戦争の被害者である旧植民地の人々の分祀には問題とする意識はほとんどないと言っても良い。そこで,靖国分祀訴訟をめぐる一連の法使用とそれに対する国民の問題意識を広く日本の法システム内の諸要素と見なし,法の問題として市民社会が認識しているか否かを考察する(Ⅵ)。結論を先に述べておくと,筆者自身は,靖国訴訟は法の問題として上手く解決されないと考えている。その理由を,日本において一般的に「社会問題」と見なされ法的紛争となった公害問題と比較しながら論じていく。そして社会問題に対して法は如何に「応答」するのかについての一端を考えてみたい(Ⅶ)。

 


1)五十嵐清『法学入門〔第4版 新装版〕』(日本評論社,2002=2017年)7-9頁参照。

 我が国の法社会学の先駆者の一人である川島武宜によると法と道徳の繋がりは「近代社会にとって,現実に重要な問題」であり,それは近代の市民社会における法の正統性(Legitimität)に関わるからであるという(川島武宜「法と道徳」『近代社会と法』(岩波書店,1959年)25-54頁)。まさに近代特有の問題と言えるかもしれない。

 また,20世紀後半から現在に至るまで法理論に多大な影響を及ぼしているハートは言う(H.L.A.ハート『法の概念』〔矢崎光圀監訳〕(みすず書房,1961=1976年)1頁)。「人間の社会に関する諸問題のなかで,「法とは何か」の問題ほど,非常にさまざまな奇妙な,そして逆説的でさえあるやり方でまじめな思想家たちによって執拗にたづねられ〔原文ママ〕答えられてきたものはほとんどない。かりに最近百五十年間の法理論だけに注目し,古代および中世の法の「本質」に関する思索をはぶいたとしても,われわれは独立の学科として体系的に研究される他のいかなる分野にも,これに匹敵するような状況を見出さないであろう。おびただしい量の文献は,「化学とは何か」,あるいは「医学とは何か」の問題に答えるために捧げられてはいないのである。」そして,「法とは何か」という問題の中で「繰り返し見られる三つの論点」の1つに「法的責務はどのように異なり,またかかわるのか」(15頁)という問いがあることを提示する。ハート自身は4つの道徳の基本的な特徴を挙げ(179-186頁),「法の要求するのが道徳的に正しいという道徳的判断をしているのではない」,「いかなることも道徳的に責務があるとみとめられてはじめて,法的にもそうであるということにはならない」(221頁),「道徳的に邪悪な要求に直面したときに,「これはどのような意味においても法ではない」と考えることは,「これは法であるが,あまりにも邪悪なので従ったり適用したりすることはできない」と考えるより,どの点ですぐれているのだろうか」(229頁)として,法と道徳の必然的なつながりを否定する。つまり「悪法は法であるが邪悪であるので適用されない」と考えることで,自然法論者よりもむしろ法実証主義者の方が「ある法」と「あるべき法」の区別をすることができるとする(229頁)。

 このハートの法実証主義に「論争」する形でL・L・フラーは「法に内在する道徳」,すなわち法の制定に際しての手続的道徳を唱え,法と道徳の必然的関連性を主張する。フラーによると,法は「人間行動を規則の支配下に服させようとする企て」(L・L・フラー『法と道徳』〔稲垣良典訳〕(有斐閣,1964=1968年)129頁)であり,この企てが成功するためには8つの道徳原理(法の公布,一般性,明晰性,無矛盾性,恒常性,遵守可能性,非遡求性,宣言された法とその執行・実現との合致)が必要であるとする。いわば,法と道徳に必然的関連性がないとするハートに対する反論が展開される(特に,177頁以下)。

 このような反論可能性が担保されるのは法と道徳の必然的関連性の存否に本質的な答えはなく,強いて答えなるものを構築するとなれば,それはたえず議論の中で吟味されるものだからであると考えている。R・ドゥオーキンが生涯主張したような,ハード・ケースにおける法の解釈に際して「正解テーゼ」を導出することができるハーキュリーズ裁判官が現実にはいないのと同様に,普遍的な真偽はア・プリオリにそなわっているのではなく構築されるのである(もちろん,「何が正解なのか」という問いが「誰の意見を正解とするか」という問いに変遷すると考えると,ハーキュリーズがいるかのように想定し,ある種の擬制をすることは効用を与える。福田三徳『現代法理論論争』(ミネルヴァ書房,2003年)102-105頁及び裁判における判決(法)と法律の間に生ずる「擬制」について,来栖三郎「法の解釈における制定法の意義」法学協会雑誌73巻2号(1956年)130-134頁参照)。そして,この営為こそが,法が法であるがゆえのインテグリティ・正統性にも繋がってくるのかもしれない。もしくはハートが提示した他の2つの論点を考える際にも共通するだろうと思われる。

 


Ⅱ NOハプサ訴訟の経過とその後

 

 NOハプサ訴訟(1審=東京地判平23・7・21判タ1400号260頁,控訴審=東京高判平25・10・23訟月60巻6号1219頁。なお第二次訴訟として1審=東京地判令1・5・28(未発表)がある)とは,大日本帝国下の植民地時代において朝鮮人の兵士が日本の英霊としてA級戦犯と一緒に合祀されている状況を良しと思わず,人格権の侵害として分祀を求める訴訟である(注2)。

 (第1次)NOハプサ訴訟では,1審ならびに控訴審の両方で李氏の訴えは認められなかった。

 1審では,裁判所は「韓国国籍を有する被告らが,植民地時代に日本国に徴兵,徴用されて第二次世界大戦の戦場に赴き,死亡した者の遺族であることを踏まえると,被告靖國神社による本件合祀行為等に対して強い拒絶の意思を示していること自体に対しては,〔・・・〕理解し得ないわけではない」としながらも,「原告らの主張する利益は,他人が家族を自己の意思に反する宗教的方法で慰霊すること,又は英霊ないし祭神として祀ることを拒否するものであると解され」るとし,原告の主張する利益を「原告らが被告靖國神社の教義や宗教的行為に対して内心的な不快感や嫌悪感を抱くことのない利益を言い換えたものにすぎ」ないとして「昭和63年判決の判断の対象となった宗教上の人格権又は利益と本質的に異なることはないというべきである」とした。また,「最高裁昭和63年判決は,端的に,信教の自由の保障は,何人も自己の信仰と相容れない信仰を持つ者の信仰に基づく行為に対して,それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害する者でない限り寛容であることを要請しているものであるというべきであることを判事したものであ」(判タ285頁)るとした。

 続く控訴審でも1審の判決をそのまま受け継ぐ形で請求棄却判決がされた。また,「信教の自由の保障は他者の信仰に基づく行為に対して寛容であるとする最高裁昭和63年判決の考え方がそのまま当てはまるもの」であり,「最高裁昭和63年判決の採用するいわゆる寛容論は,故人を祀る宗教行為について,信教の自由に基づきすべての者がひとしく追慕・慰霊をすることができるとするものであり,その遺族のみに優越的地位を認めているとは解し得ない」(訟月1231頁)とし,昭和63年判決(注3)で示された寛容論を改めて提示し,その意義を確認する形で訴訟は確定された。

 李氏の話によるとNOハプサ訴訟はいわゆる1円訴訟というもので,靖国神社に対して合祀の取り消しを求める訴訟であるという。李氏は訴訟を靖国神社に謝罪させるために行なっていたのだ。李氏は残された家族の気持ちと旧植民地の遺族としての耐えられない屈辱感を汲み取って欲しいと語った。李氏自身のNOハプサ訴訟は終了したが靖国神社の態度に「納得がいかないから[靖国分祀訴訟を他の当事者がやる際の応援を]やるしかない」([]内筆者補足)と言っていた。

 NOハプサ訴訟は日韓を跨ぐ国際的な訴訟であり,また両国の決して順調とは言えない時期での訴えであった(注4)。ゆえに訴訟に対する国際的関心の高まりもある程度あったと考えられるが,それにもかかわらず司法は従来の判例を踏襲した「金太郎飴型」の判決をするに留まり,帝国時代の日本とその植民地であった韓国との関係に深く踏み込むことはなかった。このような裁判所の態度に李氏は怒りを隠されておられなかった(注5)。

 


2)第205回北大民法理論研究会における吉田邦彦教授(民法)の報告によると,靖国神社における朝鮮出身者の合祀者は2万1181柱に登るという。このような歴史的背景を持つNOハプサ訴訟の原告である李煕子氏との話の中で筆者は⑴靖国合祀はそもそも日本社会の中で社会問題として認知されているか,という問いと⑵一般的に,社会問題に法はどのように応答するのか,という問いを持つようになった。現在時点では⑴,⑵のどちらも答えを出せていない。⑴は国際的な関心が高まっているにも関わらず日本社会の中で靖国神社に関する問題はあまり話題になっていない,もしくは話題にすることを忌避しているように筆者が感じていることから出た問いだ。そうなると社会問題として靖国分祀訴訟をみなすことは難しくなってくる。また,⑴の前に問うべきなのかもしれないが,そもそも社会問題とは何か,また社会問題されるものと法の関係はどうなっているのか,そしていわゆる法的思考は現実の事実から法的要素のみを抽出する思考であるが裁判を法的思考の中心の場として理解するのなら,法的事実から捨象される社会的事実は議論の素材にならないのか(これに関しては、後述Ⅴで論じる),というのが⑵の問いの含意である。これらは,法が社会の中でどのような役割を持っているかを考える際にはなくてはならない論点であるように映る。 

3)最大判昭63・6・1民集42巻5号277頁=自衛隊合祀訴訟。後述Ⅲ参照。

4)例えば,当時首相であった小泉純一郎北朝鮮に対する2002年,2004年の訪朝は,2001年の9・11テロの後であることもあいまり独特の緊張が漂ったと推測できるが,とはいえある程度行政と距離を置いている(と少なくとも三権分立というタテマエの上では見なされている)司法にもその影響が多く及ぶかについては筆者自身も疑問であり,明確な留保が必要であることは間違いない。

5)エールリッヒの「生ける法」を持ち出すまでもなく,法的紛争の当事者と法専門家との間に存在する,紛争の認識におけるgapは,李氏以外にも多数の紛争当事者が経験していることのように思われる。すなわち,法に対する知識・観念・感情・態度は,初めて訴訟をする当事者と普段から法主体として活動している法曹三者をはじめとする法専門家の間では(法的)紛争に対する認識のズレが生じると考えられる。

 例えば,民事訴訟制度の中核をなす民事判決書に関する議論を見てみよう(家原尚秀「民事判決書の在り方についての一考察」東京大学法科大学院ローレビューVol.10(2015年)63-79頁)。これは事実摘示(「当事者の主張」欄)をはじめとする従来判決書が法学者,とりわけ裁判官にとっては法的に正しい記載であり,緻密な書式という点で有益である一方,当の紛争当事者に対しては「難解で,技巧的」であるとされ,より平坦で分かりやすい判決書を書くことが要請された。そこで平成2年に「当事者が真に知りたいことに簡明かつ的確にこたえる平易な判決書を作成することを目指す新しい様式の判決書」(=「新様式判決書」)が登場した。しかしながら判決の分かりにくさは完全に拭えていないようである。

 これは一般市民が日常生活で法と関わる機会が少なかったり法規範が専門性が高い言語で構成されている,法規範をめぐる規範的争い(=「法的争論」)が紛争の社会的実体そのものではなく,そこから抽出された法的なメタ紛争であるなどの理由によって生じると考えられる。六本佳平『日本の法と社会』(有斐閣,2003年)23-25及び55-57頁参照。


Ⅲ 「金太郎飴型」判決の雛型

 

 前述した「金太郎飴型」の判決の雛型とは,もちろん自衛隊合祀訴訟(=最大判昭63・6・1民集42巻5号277頁)である。事案は,クリスチャンであるX(=原告)が,自衛官であり公務中に死亡した夫が山口県護国神社に合祀されたことに関して,山口県隊友会(以下,「県隊友会」)と自衛隊山口地方連絡部(以下,「地連」)がXの意思に反して共同して申請したことに対して,政教分離に反し,また自分の宗教上の自由ないし人格権などが侵害されたとして,両者に対し不法行為に基づく損害賠償と合祀申請の取り消しを求めたものである。Xは,合祀され「祭神とされる者と密接な生活関係にあり生活感情の密接性の濃い配偶者は,亡夫をその意思に即しない事情の下に祭神として祀られることのない自由を自己固有の宗教的人格利益として条理上当然に享有している」,被告の合祀行為は「原告の宗教上の自由乃至人格権を侵害して」おり,「原告は拒絶にもかかわらず亡夫を県護国神社に合祀されたことを知って〔・・・〕強い悲しみを感じており,その精神的苦痛は耐え 忍ぶことのできない性質のものである」などと主張している。なお,この事件では,故人の父親や兄弟は合祀に反対していないという事情があったことから,原告は「死者に関する宗教上の行為について最も尊重せられるべき人格的利益は,条理に照らし死者に対する深い精神的きずなを基本として実際生活感情を最も濃く有する者すなわち配偶者の人格的利益である」とも主張している。Xの請求は,一審(=山口地判昭54・3・22判時921号44頁)では認容,控訴審(=広島高判昭57・6・1判時1046号3頁)では県隊友会の訴訟当事者能力を否定して,県隊友会に関する部分を取り消し地連敗訴部分を認容した。国側が上告した最高裁ではXの請求は棄却された(注6)。「原審の宗教上の人格権であるとする静謐な環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは,これを直ちに法的利益として認めることができない」とし,県護国神社の合祀を「自由になし得るところ」とする(民集288頁)。すなわち裁判所は,宗教的人格権なるものは法益として認められず,私人である護国神社には個人を祀る宗教的自由があり,これに対して原告も寛容でなければならないとした。

 法廷意見に対する反対意見として,伊藤正己最高裁判事による反対意見がある。伊藤反対意見は,本件合祀申請行為を県隊友会と地方連楽部との共同行為と評価できるので,地連の行為は憲法20条3項違反であると判断している。そして,「他者からの自己に欲しない刺激によって心を乱されない利益,いわば心の静穏の利益もまた,不法行為法上,被侵害利益となりうるものと認めてよい」(同民集311頁)とする。また,「基本的人権,特に精神的自由にかかわる問題を考える場合に少数者の保護という視点に立つことが必要であり,特に司法の場においてそれが要求されると考える」(同頁),すなわち少数者の保護にこそ多数者が寛容であるべきであると説く。ちなみに,当時の学界でも伊藤反対意見は支持され,最高裁の判決は批判されたようだ(注7)。

 上述のような大きな波紋を呼んだにもかかわらず,後のNOハプサ訴訟で判決が昭和63年判決を援用する形で決着が付いている。いわば,裁判所が先例の寛容法理をドグマ的に見なし,「等しきには等しきを」の論理で昭和63年判決と類似の事例であると見なしているのだろうか。

 昭和63年判決を援用した類似の靖国合祀訴訟として,大阪地平21・2・26判タ1300号104頁(=「靖國合祀は嫌ですよ訴訟」)がある。事案は,被告靖国神社に対し,原告の近親者である戦没者の合祀行為等により,人格権の侵害により精神的苦痛を受けたとして慰謝料及び当該戦没者の氏名抹消を求めたものである(なお国に対しても靖国神社との共同不法行為に基づく損害賠償請求をしている)。一連の靖国訴訟において,裁判所は被告の訴えを認めなかったのであるが,この点に関して,「本件で問題となっているのは,〔・・・〕故人の追悼・慰霊に関して遺族が決定しうる権利ないし利益(自己決定権の一種といってもよい)が, その意に反して侵害されたこと」=実際問題が「信仰生活の「静謐」「宗教上の感情」という原告の心情の問題」=法的問題へ転移しているとも言えそうである(注8)。

 次節以降はこのような司法態度,すなわち裁判所の原告や国際的関心に対するある種の「鈍感さ」の原因,そして日本社会の靖国訴訟に対する意識を考察していく。果たして原因は「判例の批判的検討」の欠如にあるのか。それとも日本の「司法消極主義」にあるのか。それとも他の何かにあるのか。

 


注 

6)本稿の本筋ではないから深くは論じないが,(主に傍論として)自衛隊合祀事件で最高裁政教分離に関する判断も示している。すなわち,一審・控訴審で当事者が国ではなく地連であったのに対し,上告審では国が上告していることに着目すると,本稿で主題にしている民法709条における保護法益の検討のみならず,憲法20条3条にいう宗教的活動の有無も争点になっている。もっとも,「地方公共団体とその機関の行為を政教分離原則違反だと考える住民は,客観訴訟である地方自治法242条の2の住民訴訟制度を利用できるため,訴訟で自分の信教の自由の侵害を主張できなくてもよい」一方で,「国レベルでは住民訴訟と同様の制度が存在しないため,国とその機関の行為を政教分離原則違反だと考える市民が,訴訟で当該行為の違憲性を争うためには,同時に自分の権利侵害を主張する必要が出てくる」(赤坂正浩「判批」別ジュリ49巻4号(2013年)101頁)ため,特に後者は前者に依存していると見ることはできる。そして,地連職員の合祀申請行為を,「宗教とかかわり合いをもつ行為であるが,合祀の前提としての法的意味をもつものでな」く,「宗教とのかかわり合いは間接的であり,その意図も,目的も,合祀実現により自衛隊員の社会的地位の向上と士気の高揚を図ることにあつたと推認され」,「国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こし,あるいはこれを援助,助長,促進し,又は他の宗教に圧迫,干渉を加えるような効果をもつものと一般人から評価される行為とは認め難い」とし,「地連職員の行為が宗教とかかわり合いをもつものであることは否定できないが,これをもつて宗教的活動とはいうことはできない」(前掲民集286頁)として政教分離原則に反しないと判示している。

7)不法行為法について,伊藤反対意見は「社会の発展とともに不法行為法上の保護利益は拡大されてきたが,このような宗教上の心の静穏の要求もまた現在において,一つの法的利益たるを失わないといってよい」(前掲民集311頁)と説く。これは抽象的な民法709条をはじめとする不法行為法の解釈に際し,裁判所が過失・因果関係・法益などに対して応答してきたことを踏まえると大変示唆に富む。

 なお,本稿は判例批評・学説紹介の場ではないからなるべく立ち入らないようにするが,芦部信喜最高裁の共同行為性を否定したことに対する批判を述べ,伊藤反対意見を妥当だと見なしている(芦部信喜憲法〔第6版〕』(岩波書店,1992=2015年)163頁参照)。また星野英一靖国神社の合祀行為には「英霊」という独特の意味合いがあるとし(星野英一自衛官合祀訴訟の民法上の諸問題」法学教室96巻12号(1988年)20頁),最高裁が判断した宗教意識の希薄さを否定する。

 近年の民法学においては大村敦志不法行為法上の「マイノリティの利益」の問題として検討を加えているが(大村敦志不法行為判例に学ぶ』(有斐閣,2011年)207-220頁),「死者の意思を尊重する」という一般論を展開しつつ,「妻が当然に優先権を持つわけではない」とする。結論としては,坂上判事意見(=受忍限度論)に落ち着いているように見える。

 これに対して,吉村良一は,「遺族が一致して一定の判断を行っている場合には,そのような問題は発生してこない」(吉村良一「故人の追悼・慰霊に関する遺族の権利・ 利益の不法行為法上の保護」立命館法学327=328号(2009年)985頁)とする。そして,自衛隊合祀事件を「人格権としての信教の自由」の成否とする理解(例えば,大村敦志『基本民法Ⅱ〔第2版〕』(有斐閣,2003=2005年)205頁,吉田邦彦『不法行為等講義録』(信山社,2008年)125-126頁など)に対して,やや距離を置き「故人の追悼・慰霊という私事に関して遺族自らが決定し,他者から意に反する方法を強制されない権利ないし利益として位置づけることが,本件のような問題の本質ならびに遺族たる原告の思いに合致しているのではないか」,「遺族の利益ないし権利を,判決や殉職自衛官合祀訴訟最高裁判決が行ったように,侵害行為者の自由(信教の自由等)と同じ平面で比較衡量すべきではないということである」(2407-2408頁)と自己決定権に基づく被害者の内心の感情に関わる利益の問題として論じている。

 筆者自身としては,原告と裁判官の間の法益に対する認識のズレ,原告のアイデンティティの複合性からやはり信教の自由も人格権として勘案されるべきだとは感じる。そもそも人格権なるものの射程を考えれば信教の自由と自己決定権は矛盾するような法益ではないことは明らかであるし,むしろ不法行為の要件におけるウェイトの違いなのだろうか(吉村自身は自衛隊合祀訴訟では侵害行為の態様によっては賠償が認められうることまでは否定しなかったことに着目し,また不法行為法上保護される利益が多様化してきており,被侵害利益の「主観化」に着目して相関関係説に立つ)。

 合わせて,潮見佳男『不法行為法Ⅰ〔第2版〕』(信山社,1999=2009年)33頁注35参照。

8)吉村・前掲注7)論文2396,2406頁。なお尾崎一郎「複合的分断と法」法律時報89巻9号(日本評論社,2017年)9頁参照。