アイヌ民族政策の途

I はじめに


北海道大学は明治時代に日本が近代国家として成立し,その枠組みが作られる中で札幌農学校 として最初に設立され,現代に至る。このような日本,とりわけ北海道の近代化の裏には北海道 (=蝦夷地)に住んでいたアイヌ民族の排斥がある。北海道大学という存在は日本の近代化とアイヌ民族の排斥という 2つの交錯上にあるといえる。北海道大学で学ぶ者としてこのような状況 を学ぶ必要は大いに感じる。そこで本稿では現在の政府が実施しているアイヌ政策を概観し,この政策の性質を吟味しそれが日本社会においてどのような機能を持つかを論じていきたい。


II 「アイヌ政策」の概要(注1)

 

政府はアイヌ政策の目的を「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重され,地位の向上が図られる社会の実現」としており,そのために「アイヌ文化の振興やアイヌの伝統等の知識の普及・ 啓発,アイヌの人々の生活の向上」を目標としている。アイヌ政策は大きく2つのベクトルに分かれ,①アイヌ文化振興関連施策,②北海道アイヌ生活向上関連施策と分類される。
アイヌ文化振興関連施策は主にアイヌ語の振興やアイヌ文化の振興,アイヌの伝統的生活空間(イオル)の再生(注2)などが挙げられる。これは目的としてはアイヌ民族以外の日本人に 向けたアイヌ文化を促進していくことであると考えられる。これは 1997 年に施行されたいわゆる「アイヌ文化振興法」から始まる。また,この施策は「多文化主義」というキーワードからも読み取ることができるだろう。多文化主義とは本来グローバリゼーションの文脈で語られることが多いが,アイヌ民族が住んでいる北海道では比較的馴染みがあり,ある種の ローカルリゼーションとも言える。しかしグローバルな文脈における多文化主義も,ローカルな多文化主義も,両者は共に大文字の〈他者〉の理解を促進し,〈他者〉との共生を目指すという点で意義がある。
②北海道アイヌ生活向上関連施策は例えば雇用・生活の安定や住宅環境の改善,就学の支援 などが挙げられる。施策の対象はアイヌ民族に向けられ,「法的には等しく国民でありなが らも差別され,貧窮を余儀なくされたアイヌの人々」(注3)に対する実質的な差別解消措置(=アファーマティブアクション)を目的にしていると考えられる。すなわち,マイノリティであるアイヌ民族の社会進出の促進が大きな目的であり,その点で男女雇用機会均等法に始ま る我が国の女性差別の撤廃に通ずるものがあるように感ずる。また,正義論的観点からすれば,このようなアファーマティブアクションは財の再配分というよりかはマイノリティとさ れている者たちとマジョリティとされている者たちとの間の関係性の平等化が目的となっている(注4)

 

1)以下,アイヌ政策推進会議・内閣官房総合政策室ホームページ (https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/policy.html,2019年7月31日閲覧)を参考 にした。
2)地下鉄南北線さっぽろ駅改札において2019年3月21日からオープンした「ミナパ」はアイヌ文化を発信する空間としての例として挙げられる (https://www.city.sapporo.jp/shimin/ainushisaku/minapa/index.html,2019年7月31日閲覧)。
3)平成20年6月6日,「アイヌ民族先住民族とすることを求める決議」が衆参両院で,全会 一致で採択されたことを受け,内閣官房長官の談話の中での発言。
4)関係的平等を論じたものとして,森悠一郎『関係の対等性と平等』(弘文堂,2019年)。

 

III 是正必要性の程度・統合


このように,政府はアイヌ民族に対する学修・雇用機会差別の是正のために例えば「アイヌの 人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」をするなど,特に近年 積極的なアイヌ政策を行なっている。しかしながら,本来近代国家の枠組みにそぐわない共同体で生活を送ってきたアイヌ民族をこのように優遇することは,このような近代国家の枠組みと共 同体文化のミスマッチを解消するためであるが,具体的にどのような機能を持つのだろうか。
政府側の視点から立った場合,このような政策は国家統合という機能を持つと考えられる。すなわちアイヌ民族を社会・経済・法的に格差を是正することで国家単位の社会システムの複雑性の解消が図られる。国ないしは日本国民の多数派にとってもアイヌ政策は〈他者〉を取り込みによるコミュニケーションの安定化というメリットがある(注5)。
しかしながら,実際の日本の社会において,法が要求する内容が社会に入り込む際に,「生きた法の抵抗力」(注6)を無視することができないのは雇用における男女平等に関する一連の法過程を見ればわかる。法の目的への志向性を持った応答的法として法が機能するとしても実際には社会当事者により法の理念が揺らぐ可能性はある(注7)。また,現在アイヌ民族として生きている人たちと過去にアイヌ民族であったり,親族がアイヌ民族であったが,文化を捨ていわゆる帰化をしたような人たちの間のある種の緊張感も見逃すことはできない。後者は自らが生活するために民族を捨てたことで逆に現在アイヌ民族として「活動」する者たちに対してコンプレックスを抱いているのではないか,という問題は小さく見えるかもしれない。しかしながら実は小さな差異こそ紛争を生むきっかけになるのだ(注8)。


IV おわりに


以上,アイヌ政策の社会における意義と限界を論じてきた。
結論として,アイヌ民族が社会進出するために,―それはアイヌ民族アイデンティティーという本来人間に認められるはずの尊厳の保持をも含むのだが―アイヌ政策は必要不可欠なもののように思える。しかしながら,たとえ近代国家単位の社会においてアイヌ政策が国家統制機能をもつといえども,法が社会に適用される際の中和的障壁もあるということを勘定に入れることは必要である。すなわち,社会の中で残っている潜在的差別意識などがあれば,一連のアイヌ政策が本来予定していた効力を発揮できない可能性もあるのである。仮にそのような差別意識がないとしても,法によりアイヌ民族の差別が是正されることをアイヌ民族が特権を持つことと勘違いをしていくという論点のすり替えが社会の中で起こることはしばしばある。このような論点のすり替えをするような人たちに「しっかりと正しい歴史認識を持ちなさい」と説教を垂れてもそれは無意味に等しい。このような状況を法はどのように「応答」することができるのか,またはできないかを見ていく必要がある。

 

5)もっとも,アイヌ民族の共同体は共同体の外の倭人との交流を「カムイ=神・クマ」との交流 と見立てており,外部の〈他者〉も秩序保持の一手段として用いてきた。すなわち近代日本の 秩序理解とアイヌ民族の秩序理解に関してもギャップがある。北溝太郎「秩序のレトリックと 社会認識」栗本慎一郎編『法社会学研究』(山嶺書房,1985年)81−85 頁参照。

6)六本佳平『日本の法と社会』(有斐閣,2004年)320 頁。

7)P・ノネ=P・セルズニック『法と社会の変動理論』〔六本佳平訳〕(岩波現代選書,1978=1981年)122 頁以下参照。
8)See, Calvin Morrill, Michael Musheno, Navigating Conflict: How Youth Trouble in a High-poverty School (Chicago Series in Law and Society), University of Chicago Press, 2018. ここでは元からいたラテン系 移民と新しく来たラテン系移民の間の学校の中での対立が描かれている。

 

参考文献

北溝太郎「秩序のレトリックと社会認識」栗本慎一郎編『法社会学研究』(山嶺書房,1985年) 69−94 頁
ノネ,P=セルズニック,P『法と社会の変動理論』〔六本佳平訳〕(岩波現代選書,1978=1981年)
森悠一郎『関係の対等性と平等』(弘文堂,2019年)

六本佳平『日本の法と社会』(有斐閣,2004年)
Morrill, Calvin., Musheno, Michael., Navigating Conflict: How Youth Trouble in a High-poverty School (Chicago Series in Law and Society), University of Chicago Press, 2018
アイヌ政策推進会議・内閣官房総合政策室ホームページ (https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/policy.html,2019年7月31日閲覧)
札幌市ホームページ(https://www.city.sapporo.jp/shimin/ainushisaku/minapa/index.html,2019年7月31日閲覧)