札幌を去る

明日から札幌を去り東京での生活が始まる。

札幌を離れるということは僕にとって親元を離れるということだ。

札幌を離れるということは僕にとって大学を卒業するということだ。

北大にはそういう卒業生が一定数いるのではないだろうか。

 

大学では愉快に遊ばせてもらったし学ばせてもらった。

法学部の最初の専門科目っぽい授業である法学入門の単位を落とした当時の僕にとっては勉強なんて片手間にやればいいとすら思えなかった。

正直あまり勉強をすることが得意な方ではないし,大学の勉強に意味が見出せなかった。

就職までのモラトリアム程度にしか大学を捉えていなかったと思う。

入学前に父から民・刑・憲法判例集をもらったときには読む気にもなれなかったものだ。

しかし,法学ができなくとも数学は好きだったので隣の経済学部の授業は楽しかった。

統計学ミクロ経済学…この辺りから僕は勉強に復帰できたと思う。

まあ他の法学部生がやらないことをやって悦に浸っていたという見方もできるかもしれないが(これが今流行りの「法と経済学」ですか?」)。

そこから大学院で専攻する法社会学にたどり着くのは時間の問題であるかのように思われる。

だが,その過程で学問を職にするというオプションが僕の中に入ってきたのは先生方や先輩,そして同期との巡り合わせである。

刺激的な議論に囲まれ,贅沢な時間を過ごせたように思う。

 

 

やっぱりサークルだったり友達と遊ぶのはいいね。

集団で何かをすることはあまり得意ではないのだけれど,楽しかった。

とにかく膨大に「自由な」時間が与えられたので,持て余した。

そこで高校のときにはできなかった旅行をした。

日本中を旅したしインドも旅した。

ずいぶんお金がかかってしまった。

だが「自分探しの旅」ではなく「他人探しの旅」である(結果的に同義かもしれないが)。

その辺りはわりかしチャレンジングにできたのではないかと思う。

 

バイトはいくつかした。

テルマン,競馬バイト,コールセンター,塾講師…

塾講師以外はあまり続かなかったし,塾講師も教えるのはそこまで上手ではないことがわかった。

一番面白かったのは競馬バイトではないだろうか。

いろんな人がいるということがよくわかる。

 

大学の4年間で心残りなのは,やはり人付き合いである。

よく他人との距離感を悔やむ。

僕は自分の考えていることをほとんど言葉にすることができないタイプの人間なのだけれど,そうであるがゆえに人の心はよくわからないものである。

そのせいで悲しくなることもよくあった。

これからもそうなんだろうけど,切り離すことはできない。

僕は山奥の仙人ではないのだから。

 

 

大学生は人生のモラトリアムと言われるが,確かにそういう側面はある。

膨大な「自由」が与えられるのだ。

しかし長いようで短いのである。

おそらく年数とかそういう問題ではないのだろう。

そこに気づくことができてよかった。