「契約」という翻訳

Ⅰ はじめに


 日本が近代化を目指し,西洋列強から法制度を継受(輸入)した際に,輸入した概念・観念を日本語で表現するのに多大な苦労を要したことは,よく知られている話である。有名な話としては,福沢諭吉がright(Recht,droit,regt)をどのように訳したのか,というものが挙げられる(注1)。言うまでもないが,今やrightは「権利」という翻訳が定着されるに至った。rightの場合,「権利」という言葉を造ったことで,翻訳という課題に対処をしたわけであるが,Rechtの他にも,constitution(Verfassung)をはじめとした法制度に直接関係する概念から,societyやcivil,あるいはliberté(Freiheit,vrijheid)といった,価値・理念的な抽象的観念まで翻訳──すなわち,異質な文化的土壌で用いられる概念を,自らの文化的土壌の上で咀嚼しうるものとするための自国語による表現行為──することが明治初期における日本の知識人たちの課題であったことは間違いない。

 例えば──そして当然というべきかもしれないが──,jurisprudenceに当たる言葉もなく,それゆえに西周は葛藤を見せる。

 


ジユリスプリーデンスなる字の定義は The relation or course between men in accord with justice or integrity in the judgment of each man in the opposition of wrong にて,人各正直即ち公正と一致に於て相係りたる通り路なり,且各の決断に於て及ひ邪曲の反対に於てと言へり。(注2)

 


 西はまず「ジユリスプリーデンス」の定義を英語で示し,それを直訳することで定義を汲み出す。ここで,法と法学の違いが問題となるが,西は続ける。

 


今法を学ふとなすときはその曲直是非を弁することなく,唯タ古来建て置くところの法の帳面を見るまてのことなり。故にジュリスプリーデンスとなすときは法を学ふもその曲直善悪を尺度を以て弁別せさるへからさるものなり。それ故に学問の時はジユリスプリーデンスとなるなり。(注3)

 


 こうして西はlawとjurisprudenceを区別し,jurisprudenceにあたる訳語を検討する。しかし,「之を漢字に当てゝ訳せんとするもなほ適当なる文字を欠けり」とし,「ジユリスプリーデンスを真の直訳になすときは正路之学,或は正義学と訳するの外なし」と言いながらも,「力なきに似たり」とされてしまう(注4)。そうして結局「我日本の文字にて訳するときはローは法学,ジユリスプリーデンスは義学となすへし」とされる(注5)。このように,jurisprudenceを「すぢ〔じ〕のまなび」と漢字ではなく和語で表現するということもあったのだ。このような葛藤が生じたのは,日本において法学が不在であったからに他ならない(注6)。

 jurisprudenceのような,異質な概念・観念を母国語に翻訳する際に,翻訳者の認知・環境が作用することで,その概念・観念が有する(とされている)本来のニュアンス・意味・用法などが異なってくることもあるかもしれない。この「意味屈折」を捉えるためには,外来の概念・観念を翻訳する問題状況の特徴を知ることが不可欠となる(注7)。

 ところで,法(学)や権利,あるいは自然法憲法といった訳語に関しては──おそらく訳語の大部分が造語であることに加え,そのバリエーションが豊富であったこともあり──その反省とともに大きな注意・関心が払われているように思われるが,「契約」という訳語に関してはそれらに比べるといささか十分に検討されているとは言い難いように思われる。「契約」は,ドイツ語のVertragやフランス語のcontratに対応する日本語であり,訳語であるのだ。

 民法では第三編債権の第二章として組み込まれており,民法典の中で大きな見出しになっていることから契約という法制度が大きな意味を持つことは言うまでもない。医療過誤などにおいても,アメリカ法では不法行為法や信任法で医師の義務を基礎付けることが通例であるのに対し,日本法では委任契約に類するものであるとし,契約法理を適用し,その枠内で処理することがなされる(注8)。また,民法学においては──債権総則の一部(民414条など)や多くの特別法及びそれらの判例も組み入れた──「契約法」として独自の地位を有するに至っている。

 法学の外に目を向け,実際の契約に着目しても,社会における契約の意義は大きい。もっとも,かつて川島武宜は,欧米諸国と日本の契約意識を対置させる形で,日本の契約の成立及び契約内容の不明確・不確定性──その意味での契約の存在意義の希薄さ──を指摘していた(注9)。しかしその一方で,アメリカにおいてもビジネスマンの間での信頼(trust)に基づいた,詳細な契約内容をあらかじめ取り決めることのない契約が結ばれていることを実証した法社会学的研究が見られた(注10)。この知見を皮切りに,条文の中の契約法と実際の取引慣行としての契約法の間の乖離という「契約法の二元性」(注11)の議論は,ある種の相対化を見せることになり,本格的な実態調査へと舵を切ることになる。この流れの中で,日本における契約の社会的意義について,1970年代前半に北川善太郎により,契約書の作成率などの調査に基づいて指摘されていた(注12)。また,越智啓三は,諾成契約の1つである家族協定(父子契約)に着目し,川島の契約意識論に対する批判を踏まえながら,農村社会における家族協定の意義を実証している(注13)。

 このように,法(学)及び社会の両方にとって重要であるところの契約──それは近代法体系の基礎概念とも言える──も,法や権利といった比較的抽象度の高い観念に比べれば翻訳としての問題として焦点が当てられにくいことはあると言えるものの,より法律概念及び現実生活に身近であるが故に,翻訳の問題として一定の重要性を持つと筆者は考える。この視座に立ち,本稿ではまず契約という言葉が民法学においてどのように位置付けられているか確認する(Ⅱ)。その次に,訳語として「契約」を見ることにしてみて,訳語としての特徴を考察する。そして最後に「契約」を翻訳語として見た際に得られた,法における翻訳の意義を考えてみたい(Ⅳ)(注4)。

 

 注

1)例えば,柳父章翻訳語成立事情』(岩波新書,1982年)153-155頁,長谷川晃「法のクレオールと法的観念の翻訳」長谷川晃編『法のクレオール序説──異法融合の秩序学』(北海道大学出版会,2012年)31頁注45など。

 2)大久保利謙編『西周全集 第一巻』(日本評論社,1945年)183頁。なお,漢字で旧字体のものは,現代のものに改めた。

3)同上,184頁。

4)同頁。

5)同上,185頁。

6)内田貴『法学の誕生──近代日本にとって「法」とは何であったか』(日本評論社,2018年)29-32頁参照。

7)長谷川・前掲注(1)22頁。長谷川は,翻訳の基本条件として知識と経験の予備的蓄積,対象となるテクストの読解,そして翻訳の実戦的指向性を提示し,その上で翻訳を「内容の差異を残しつつも一定の構造的類似性を見出して二つの異なる枠組みの下の観念を概念的に近接化する試み」とする(20頁)。さらに,rightsを権利と訳したように,「問題となっている観念にあらたな言語において十分な意味を与え,独自の観念を確立」することを「概念的転回(conceptual conversion)」と呼び,訳語の選択は概念的転回に影響を与え,「翻訳者の政治道徳観とあいまり翻訳上の意味のねじれないしは歪みを引き起こす」とする(21頁)。

8)日米間の契約(Contract)観の相違を論じたものとして,樋口範雄「医師患者関係と契約──契約とContractの相違」棚瀬孝雄編『契約法理と契約慣行』(弘文堂,1999年)77-109頁参照。特に107頁。

9)『日本人の法意識』(岩波新書,1967年)100頁。

10)Stewart Macaulay, “Non-Contractual Relations in Business: A Preliminary Study”, American Sociological Review, vol.28(1963), pp.55-67.

11) 内田貴『契約の時代──日本社会と契約法』(岩波書店,2000年)25頁。加藤雅信らが行った22ヶ国/地域を対象とした契約意識に関する質問票調査で,対極的な契約意識であると言われていた日本とアメリカが世界的には平均的な国であるという知見も重要である。加藤雅信=藤本亮「22ヶ国/地域調査結果の概要」同編『日本人の契約観──契約を守る心と破る心』(三省堂,2005年)82-88頁参照。

12)北川善太郎『現代契約法Ⅰ』(商事法務研究会,1973年)15頁参照。

13)越智啓三『家族協定の法社会学的研究』(東京大学出版会,2007年)。

14)本稿では,契約という言葉に対して,もっぱらVertragやcontratに対応する訳語としての性格を強調したいとき,「契約」と記す。


Ⅱ 契約の意義


 Ⅰで述べたように,日本の民法典は第三編「債権」の第一章「総則」に次いで,第二章「契約」をその体系の中に組み込んでいる。条文上,契約は事務管理・不当利得・不法行為と並んだ,債権発生原因の1つとして位置付けられている。

 フランス法の影響を多分に含んだ旧民法では,財産編の第二部のなかに組み込まれ,契約は──ドイツ法の衣を被った──現行の民法とは異なった位置づけがなされている。すなわち,旧民法では合意が義務発生原因の1つであるとされる(旧民295条1号)。そして,「合意トハ物権ト人権〔債権〕トヲ問ハス,権利ヲ創設シ若シクハ移転シ又ハ之ヲ変更シ若シクハ消滅セシムルヲ目的トスル二人又ハ数人ノ意思ノ合致」を表し(同296条1項),「合意カ債権ノ創設ヲ主タル目的とスルトキハ之ヲ契約ト名ツク」とされていた(同条2項)。旧民法において合意(convention)の構造を強調しているのが旧民法の契約法の特色の1つであるとされている(注15)。このconventionは「広義の契約」という呼ばれ方もされている(注16)。

 その後法典論争を経て,旧民法に代わり新たに──ドイツ民法を模倣したかのようなパンデクテン・システムを取り入れた──民法が作られ,「法律行為」として契約が位置付けられることになる。とは言うものの,完全にドイツ法を継受したかというと決してそうとは限らず,──少なくとも法典上は──ドイツ法とフランス法における契約概念が重なって形成されているといえよう。

 中田裕康はこの経緯に関する議論をもう一歩進め,日本の民法が摂取したものは十九世紀ヨーロッパ大陸,すなわち「近代的契約法」であるとする(注17)。中田によると「近代的契約法」とは17世紀から18世紀にかけての近代自然法学,18世紀以降の経済理論,政治思想,哲学などを下地にして,封建社会から資本主義社会への転換にあたり開花したものであるとする(注18)。中田自身も紹介しているように,ヘンリー・メインの「身分から契約へ(from status to contract)」(注19)という有名なテーゼを基盤とした観念こそが日本が摂取した近代的契約という概念であるわけである。

 中田は近代的契約の基礎にある思想・契約観を,契約自由の原則,意思自治の原則,契約の完結性から分析し,契約の基本理念を探るわけだが,契約自由の原則についてはまさに民法の基本理念とするのは不思議な話ではない。

 このような18世紀から19世紀的な──あるいは近代的な──レッセフェールの匂いを醸し出す日本の民法における契約は,現代の日本社会において,その意義は拡大していると見られている。Ⅰで述べたように,日本人の契約意識が世界の国々と比べて,そこまで特殊な位置を占めていることはないことが実証され,そもそもどの世界にも条文における契約と実際の契約には乖離が生じていることが一般的であることがわかった。この知見は,日本文化論に対するある種の解毒剤となったところが多く,それと呼応するかのように新しい類型の契約が取り沙汰されることとなった。日本の民法は13の典型契約を定めているが,これに馴染まない契約──非典型契約──が民法学の中でも議論の俎上に登ることとなった。フランチャイズ契約,ファイナンス・リース契約,ライセンス契約などがそれである(注20)。このように,定数的な契約の社会的意義の拡大は定かではないが,少なくとも類型の複雑化を遂げていることはわかる。

 

15)大村敦志民法読解 旧民法財産編Ⅰ人権──旧民法から見た新債権法』(有斐閣,2020年)33頁。

16)中田裕康『契約法』(有斐閣,2017年)20頁。

17)同上,21頁。

18)同上,22頁。このような思考方法は日本の民法学においては古くは我妻栄の「資本主義の発達に伴う私法の変遷」をテーマに,1929年から1931年にかけて書かれた「近代法における債権の優越的地位」論文(『近代法における債権の優越的地位』(有斐閣,1953年)2-422頁)以来,定期的に志向される。

19)メインは,共同体や家系(Family)に根ざした権力や特権に基づいた──発展法則(the law of expressing)と対照的な性格を持つ──人格的支配(the Law of Persons)が発展社会の運動により,契約による関係形成が渇望されるとする。Henry Sumner Maine, Ancient Law (Transaction Publishers, 2002), p.170. 法社会学においてもメインは注目されており,例えばニクラス・ルーマンカール・マルクスエミール・デュルケームマックス・ウェーバー,そしてタルコット・パーソンズと並び「法社会学の古典的な諸萌芽(Klassische Ansätze zur Rechtssoziologie)」と位置付けられている。Vgl., Niklas Luhmann, Rechtssoziologie (VS Verlag, 2008), 4. Aufl., S.14.

20)中田・前掲注(16)63頁参照。


翻訳語としての「契約」の特徴

 

 では,このように現在では日本の法・社会のいずれにおいても重要な存在である(と少なくとも契約法学者はみなす)契約を,「契約」という翻訳語として見ると,どのような特徴を有するのだろうか。

 ここで,法律用語の史的考察に挑んだ渡部萬蔵の分析を見るのは,一定の手掛かりを得られるだろう。渡部は『現行法律語の史的考察』のなかで,1930年当時に用いられていた法律用語の生成,状態及びその変遷をその性質に応じて分類して示す。「契約」も取り上げられており,文字が変遷した法律用語として位置付けられている。渡部は,契約を以下のように説明する。

 

契約は「とりきめ」「いひあはせ」の義で,「準有ること契約の如し」(唐庚詩)などといはれてゐる,現制に於て契約は総て私法的効果の発生を目的とする合意であつて,此の目的に対する有ゆる約束,約定を包摂する広義の語辞である〔…〕,明治初年には約束とも或は取極め(明治五年太政官布告二百四十号)とも称へたが,旧民法に於て契約として以来現制に及んでゐる。此語辞は王朝時代より武家時代に至るも法令又は公文書に屡々見受けられるが(太政法皇御受戒祀,後付。高野山文書,実簡集三十七。文禄四年御掟。寛文五年江戸老中連署条写)又約束と称へた例(天正二十年正月二十七日海路諸法度)もある。(注21)


 渡部の説明によると,「契約」という言葉は「とりきめ」や「いひあはせ」のような日本語──しかもひらがな──と同義であるとされ,しかも契約という言葉が──「約束」と称されたことはあったにせよ──江戸幕府の公文書の中にあったという。さらに,明治初年には太政官布告により「契約」を「約束」とも「取極め」とも称されていたものの,その後「契約」という言葉が翻訳語として安定したことがわかる。

 古田裕清によると,「契約」という言葉は『魏書』で初めて使われた言葉であり,目立つように儀式の如く行われた取り決めや約束を意味したという(注22)。契約の「契」は,「刻み目をつけて作った印」,「約」は「束ね合わせて目立つようにした目印」を意味したようである(注23)。「契約」という言葉はこのような儀式だったりある種の公共空間のようなものを予定されて用いられていたことは,──もはやその意味を「契約」という言葉の中に見い出すことが困難であるとしても──気に留めておいても良いだろう。

 「契約」という言葉をVertragやcontratに対応する翻訳の言葉として見たときに興味深いのは,大きく2つある。第1に,「権利」や「社会」といった言葉は明治当初の知識人たちがdroitやsociétéを日本語で表現するために全く新しく造られた造語という──いささか翻訳としては苦し紛れではあるかもしれないが──方法で対処したのに対し,Vertragを「契約」という,そもそも日本で一定程度用いられていた(と考えられている)言葉を用いて翻訳をした点である。

 だがここで問題になるのは,日本にあったとされるような言葉を以って外来の概念・観念を表現することができたかどうか,である。『独和大辞典』を紐解くと,Vertragには契約に加えて,協定,条約という意味を含む(注24)。例えば,Friedensvertragは平和条約となる。これに加えて,Vertragの動詞形であるvertragenには耐える,我慢するなどの意味があリ,再帰代名詞sichも加わると(sich vertragen),折り合う,(前置詞mitも合わせて)調和するという意味になる(注25)。Ⅱで確認したように,契約自由の原則は私法体系の根幹にこそなっているが,公法上の諸原理として機能していると考えるのは無理があり,少なくとも現状で契約という言葉から条約という意味を引き出すことは難しいため,完全に訳しきれていないと見るべきではないのではないだろうか。あるいはVertragという,公私の区別を本来なされずに横断的に使われていた言葉が(注26),日本では翻訳に際し,契約=私法的概念と条約=公法的概念として分化してしまったと言えるかもしれない。

 では,フランス語のcontratないしは英語のcontractはどうであろうか。古田によると,contratはラテン語contractusから由来する言葉であり,前綴りであるconと動詞trahereで構成された,「複数のものが引っ張り合わされた状態」が原意であるという(注27)。contrat(contract)もVertragとある意味同様の性質を共有していると考えられる。それはホッブスやルソーらによるSocial Contract(Contrat Social)──つまり社会契約(論)──という言葉に由来する。国家と個人の規律・支配関係を正当化するための,あるいはジョン・ロールズの『正義論』に見られるような,公共善の実現にあたり,contractという言葉が用いられるのは,その証左であろう。開国当初の知識人は西洋列強へ視察・留学し,外国の素養を身につけ,翻訳に立ち向かうという方法で対処しようとしたが,contratという言葉が典型的に示しているように,ラテン語の素養も必要とするものだったのかもしれない(注28)。

 このように,既成の──といってもその原意が忘却されていた感は否めないが──「契約」という言葉でVertragやcontratという法体系の基層に位置する外来語を翻訳したことで,「意味屈折」が生じたことは言えるのではないか。

 第二の形式的な特徴として,漢字の組み合わせであることが挙げられる。上述した西のjurisprudenceを「すじのまなび」としたように,翻訳に際しひらがなを用いて表現するという道もなくはなかった。前述の渡部が「契約」の定義として挙げた「とりきめ」や「いひあはせ」にも──まさに「契約」とトートロジーである限り──,翻訳語としての地位を与えられたことは考えられよう。これには,当時の知識人の漢学の素養の高さが影響していると考えられるかもしれない。実際に明治初期に設けられた,西洋の学問に通じた人材を養成する制度である貢進生に選ばれた若者の多くは,江戸時代の後期に藩校で学んだ秀才たちであり,漢学を徹底的に叩き込まれた(注29)。このことが示すように,当時の知的エリートの時代風潮としてはひらがなよりも漢字・漢語が学術的な用語としてのプライオリティーを得ていたことが窺えるのであり,現在に至るまでそれは変わらないように感じられる(注30)。

 

21)渡部萬蔵『現行法律語の史的考察』(萬里閣書房,1930年)227-228頁。

22)古田裕清『翻訳語としての日本の法律用語──言語の背景と欧州的人間観の研究』(中央大学出版部,2004年)20頁。

23)同頁。

24)国松孝二編『独和大辞典』(小学館,1985年)2421頁。ちなみに,Vertragの他に,Kontraktも契約という意味を表すが,強いて言えば書面での契約を表すもののようである(1258頁)。

25)同上,2421-2422頁。

26)この点,来栖三郎『契約法』(有斐閣,1974年)2-3頁参照。

27)古田・前掲注(22)26頁。

28)丸山真男加藤周一『翻訳と日本の近代』(岩波新書,1998年)112頁参照。

29)内田・前掲注(6)41頁。

30)とはいうものの,現在では外来の言葉はそのままカタカナとして受け入れられることが多くなっていることは否めない。例えばロナルド・ドゥオーキンが『法の帝国』の中で用いた‘integrity’という概念は,──しばしば「純一性」などと訳されはするものの──「インテグリティ」とカタカナで表記されることはある。「おおざっぱに言うと,明治時代は,翻訳の時代である。しかし,明治の知識人の努力も工夫も,息つく間もなく押し寄せる大量の外来語を前にして,やがて十分に機能しなくなった。外来語の表記は,漢字翻訳からカタカナによる音転写へと次第にその比重を移していく」のである(山田雄一郎『外来語の社会学──隠語化するコミュニケーション』(春風社,2005年)63-64頁)。

 

Ⅳ おわりに


 冒頭で述べたように,外来語を翻訳するという問題は異質な文化的土壌に根ざした観念・概念を自国の言葉でどのように表現するかという問題であり,その意味で翻訳は外来の思想・制度・技術の継受と表裏一体であった。近代化を迎えるにあたっての日本の課題は,1つには翻訳を行い,その継受を促進することであった。そして翻訳の方法としては漢語がしばしば用いられた(注31)。本稿で検討した「契約」という言葉もその1つである。

 「契約」という言葉自体は,『魏書』に見られるようであり,その意味で中国ないしは東アジアの言葉であったものといえよう。しかし,Vertragやcontratの翻訳に際し「契約」という言葉が翻訳語としてあてがわれるときには,このような東アジア的観念が意識されていたのかは甚だ疑問である。だが,以前から存在していた漢語を意味を変えて用いたところに,興味深さを感じるのである(注32)。一般に法(学)を継受する際に以前にはない言葉(漢語)を造り出して対処するという方法が取られがちであったが,Vertragやcontratに関しては,私法体系の一原理という地位を得ながらも,意識的にせよ無意識的にせよ,「契約」という既存の言葉──これもまた中国から来た「外来語」ではあるのだが──で翻訳語として定着したのである。

 「契約」という言葉を翻訳語として用いたときに生ずる契約の「意味屈折」は,本稿では十分に明らかにはできなかった。だが,考えるヒントのようなものはある。それは,まずは売買契約における手付である。売買契約の当事者は,契約が成立した後でも,手付の授受があるときは,当事者の一方が契約の履行に着手するまでは,手付相当額を相手方に取得させることにより,契約を解除することができる(民557条1項)。一般的に日本民法の手付は解約手付と解されるのが通常であるが,来栖三郎によれば,解約手付により諾成契約としての売買の拘束力を弱め,「売買を諾成契約より要物契約へとおしもどすことを意味している」という(注33)。これは手付を契約締結のしるしとするイギリスやドイツの諸外国とは趣を異にするようである(注34)。さらには,契約の方式についても,日本の民法(改正前)では贈与以外の契約は書面を不要としていたのに対し,ドイツやフランス,イギリスでは契約方式自由の原則の例外として,あるいは約因(consideration)が要求されるのである(注35)。この辺りにメスを入れることは,翻訳語としての「契約」の分析が豊かなものになると感じる。

 翻訳という観点からややズレるが,日本が継受したとされるフランス法,ドイツ法といった西洋の近代法も,ローマ法を継受したものである。歴史的な沿革としては,中世ヨーロッパにおけるローマ法の継受は,北イタリアのボローニャで『ローマ法大全』(特に学説編纂)の再発見を通じて法学が研究対象となり,法律家という専門の担い手を産み,ヨーロッパにおける法の「学問化」(注36)に至らしめた。従来身近であった共同体の規範の代わりに,教会・行政によるサンクションが用意されたわけであるから(注37),テクストというメディアを通じて一般性を持った法規範を理解するにも,咀嚼が必要であったのではないだろうか。そしてその過程でローマ法からの「意味屈折」が生ずるのも無理がないように思われるのである。

 その中世ヨーロッパが継受したローマ法が生まれた土壌であるローマの社会(同盟都市)では,財力を基礎とし,軍事から解放されている名望家たちが,領域に保有している土地の保有そのものをパートナーに任せ,土地の果実を取引し,信用を供給すると同時に果実の取引を介して土地保有に対しても信用を担うという都市階層があったという(注38)。当事者間での透明性・高い信用の保持──“bona fides”の原理──を基盤とし,「言語を媒介とするイマジネーションの厳密な共同」=合意(conventio)を伴う高度な取引がなされていたようである(注39)。そして,「契約の基本精神は,互いに紳士的に自発的な履行を待ち,うまく行かなければ仕方がないし,問題が発生すれば進んで善処する,というものである」という(注40)。このような,──譲渡担保の必要もない──信用の上で高度に複雑な取引がローマ法本来の契約であるとすると,それを継受し,明らかに社会構造の異なる中世・近世西洋社会においても,近代日本がVertragないしはcontratを「契約」として継受した際と同じ──否,それ以上かもしれない──葛藤があったのではないかと邪推する。法を語る際に翻訳という問題は欠かせないのはこの点,すなわち日本がモデルにしたヨーロッパを含むあらゆる地域において法は異質な文化的構築物として継受するものであったことが1つにはあるのだろう(注41)。

 

31)法律学(「実用法学」)とは異なる意味で実用的技術の側面を持った──江戸時代には蘭学として栄えた──医学も,もちろん外来の技術であり,その翻訳には漢語が用いられた。緒方洪庵安政4年(1857年)に刊行した『扶氏経験遺訓』で用いられている漢字・漢語を分析したものとして,浅野敏彦『近代のなかの漢語』(和泉書院,2019年)69-97頁参照。

32)加藤周一は,造語には「既成の漢字の意味を変えずに組み合わせて使えるもの」,「以前からある漢語の意味を変えて使う」もの,そして「まったく新たに造り出したもの」の3種類があるという(丸山=加藤・前掲注(28)109頁)。「契約」は第2の意味での造語であると言える。

33)来栖・前掲注(26)42-43頁。関連して,村上淳一『〈法〉の歴史』(東京大学出版会,1997年)53-57頁参照。

34)来栖・前掲注(26),43-47頁。

35)同上,48-49頁。

36)F・ヴィーアッカー〔鈴木禄弥訳〕『近世私法史』(創文社,1961年)125頁。

37)この過程を「法化(Verrechtlichung)」という概念を用いて表し,国家の強制モデルが誕生する過程をスケッチしたものとして,Michael Stolleis, “Reformation und Verrechtlichung am Beispiel der Reichspublizistik”, Christoph Strohm (hg.), Reformation und Recht: Ein Beitrag zur Kontroverse um die Kulturwirkungen der Reformation (Mohr Siebeck, 2017), S.55-72.

38)木庭顕『新版 ローマ法案内──現代の法律家のために』(勁草書房,2017年)93頁。

39)同上,97−98頁。

40)同上,100頁。

41)もう1つ思いつくことがあるとすれば,それは法規範の行動次元における実践性である。すなわち,人間の行為の中には,人間のある行為とある観念の間に,固い結びつきがあり,さらに観念が媒介となりことばと行為にも固い結びつきがあるような行為,──「ことば=観念=行為の連帯(solidarité)」──があるが,契約もその認知行為として捉えることもできる場合があるだろう。越智・前掲注(13)4及び10頁参照。越智はこのことば=観念=行為の連帯を調印式の際に各世帯同時で締結される家族協定の中に見出したのであるが,翻って本文で紹介した「契約」の古来の意義と通ずるものがあると感じる。