研究・勉強・仕事

年の瀬なので,少しは今年を反省してみる。

 

誰もがそうであるように,2023年も色んなことがあった。

 

まず,修士論文口述試験があった。

修士論文は提出した当初はあまり好きではなかった。

論文としての出来は今ひとつのように思われたからである。

その意味でコンプレックスみたいなのがあったけれども,今は割り切った形で自分のやったことを評価している。

そのきっかけになったのは,修士論文の一部を用いて学会誌に投稿し,それが受理されたことだろう。

初めて「査読」というものを経験した。

これは論文を読んでもらえてコメントをくれる,という制度なので,かなりいいものだと思った(もちろんそれは査読者の質に大きく依存していることは言うまでもない)。

学会誌へ投稿する論文を書いているうちに,自分のやりたかったこと,そしてやりたいことがそれなりに明確になってきたことが大きな収穫のような気がする。

来年はこれを他人にも理解可能な形で言語化すること,そしてもっと研究をしていくことが目標になるだろう。

4月から研究してきたことも,しっかりと文章化しなければならない。

ただ諸先輩の博士論文を読んでいると,自分がこのレベルのものを書くことができるのか,大変不安になることがある。

これはいわゆる「悩んでもしょうがない」悩みの類だ。

こういうことを悩むのは,自分が研究できていない証拠だと思うようにしている。

あまり他人と比べないように研究ができていければいいのだが。。。

 

3月の下旬には,今住んでいるところに引っ越したりもした。

博士課程学生ながらもそれなりの給与所得を得ることができたため,思い切った。

冷蔵庫とか机とか買うのに大忙しだった。

引っ越してからは特に料理が趣味になってしまった。

たくさん美味しいものを作ることができたが,特に麻婆豆腐を美味しく作れるようになったことは進歩である。

冬に作ったビーフシチューも美味しかった。

 

4月に入ると,大学院の授業も再び履修しなければならなかった。

このような表現に表れているように,正直あまり履修はしたくなかった。

というのも,授業の予習に時間を取られてしまい,研究ができなくなるのは嫌だったからである。

しかし勉強も重要なので,できるだけ専門分野以外の授業をとった。

そしたら意外と研究と重なる部分もあったりして,貴重な機会となった。

授業の他にも,色々な側面の勉強をしなければならない。

この「原蓄」の時間は特に若輩者にとって重要なような気がするが,それがどれほどできたのか,そして来年もどの程度できるのか,は全く自信が持てない。

もう少し自分の消化能力が大きければな,とか思うのだが,それはないものねだりなのであまり建設的な思考ではない。

今行っている研究とは直接関係はないけれども,読まなければならない本の一部は,後輩たちの力を使ってなんとか読めている状態である。

本当に感謝しています。

しかし一方で「古典」と呼ばれているような著作を読まなければならないのに,他方で「注目の書」とされる著作がコンスタントに発生する。

こうして読まなければならないものは増える一方であることに対して,どう対処すれば良いのか。

来年もちゃんと勉強する時間を設定しなければ,としか言えないのであった。。。

 

特に秋に入ってからは,授業等で大学の先生と関わる中で,一般的な演習の報告を超えるようなこともやった。

具体的には,RAとしてコラムを執筆したり,学術書の共著者になることも決まったのである。

自分の専門分野の特性上,このような「仕事」が増えるのは当然なのかもしれない。

しかし「仕事」が多くなるあまりに博士論文が書けなくなる,ということもあるのかもしれない。

いってしまえば,そのような悩みはすごく贅沢なものだ。

チャンスに恵まれすぎているとすら言える。

問題は,このような仕事もやっていれば面白い,ということなのである。

特にまだ誰も検討していない問題に出会い,それに対して自分なりの分析を加えて意見を持つこと,これは本当に面白い営為である。

自分は特に研究対象に没頭しないと気が済まない性格らしくて,のめり込んでしまうのである。

そうであるが故にそれなりに有益な議論もできる,という側面はあるが,こういった仕事は幹か枝葉かと言えば,自分にとっては枝葉である。

適切な距離の取り方が大事であることは間違いないのだが,どうすればそれができるのか,そこが問題である。

マルチタスクも苦手なので。。。

 

振り返ってみると,今年はとても充実していた反面,腰を据えてじっくり何かに打ち込む,ということはなかったのかもしれない。

確かに修論から「解放」されたが,またそれなりに息の長い研究をしたいと思った。

そのような気を持たせるのには十分すぎるぐらい,様々な対象が目の前に現れた。

それが,自分にとっての2023年であったのである。