フランスにおける人格権:私生活の尊重を求める権利と民事責任との関係

民法演習の報告の材料として,フランスの人格権を扱う文献を読んだ。

その中のPascal Ancel, Droits des obligations (Dalloz, 2020), pp.390-394を訳出した。

不法行為法の構造としてはフランス法を継受している面もある日本にも何かしらの示唆を得るものではあるのではないだろうか。

 

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意図しない「告白(coming out)」:人格に関する諸権利(les droits de la personalité)と民事責任の関係について

 

 フランスの著名な政治家であるF・Xは,同性愛者であり,他の男性と同棲しているが,このことを一度も公に「告白(coming out)」していない。ところで,彼は,伝統的な家族の価値観についてむしろ保守的な姿勢を,習慣的に,示してきた一方で,婚姻に関する議論についてのみ,同性愛者の権利に対してオープンな姿勢を示す政党の幹部であることが分かった。この政党について書かれた著作において,著者らはこの政治家の同性愛を暴露し,この性的指向を〔婚姻の〕問題に対する政党の立場の変遷に関係付けした。Xは,この著作が彼の私生活の親密さ(intimité)を侵害しているとして,今後の配布の禁止のレフェレ(référé)及び著作の差し押さえを求めた。どう考えるか。

 この実在する・よく知られた事件(Civ. 1, 9 avr. 2015, nº 14-14.146, RTD civ. 2015. 583, obs. Hauser; D. 2016. 277, obs. Dreyer; RTD civ. 2015. 583, obs. Hauser; Gaz. Pal. 2015. 985, obs, Sudre)から,私生活の保護──より一般的には人格権の保護──と,民事責任法との関係について考察することができよう。私生活の尊重を求める権利(droit au respect de la vie privée)は,民法(1970年法に由来する条文)で規定されており,欧州人権条約8条でも,同様にいくつもの国際的文書でも等しく宣言されている。この権利により,なかんずく,私生活を侵害された場合に,侵害ないしは損害の停止をするためにあらゆる人が訴えることができる。この種の行動は長い間認められてきたが,1970年代までは,単純に民法1382条(現行1240条)による民事責任の中の行為の特殊形態の一つと考えられていた。つまり,今回報告されたような,この規定〔民法1382条〕に基づく民事訴訟においては,同性愛の暴露がフォートの性質を有すること,当該人物に対して損害(préjudice)を与えたことを要件とされなければならなかった。民事責任のルールを利用することは比較的容易であった。というのも,フランス法は1240条で責任の「一般条項(clause générale)」を定めており,加害者のフォート(faute)によって損害を被った人には原則として賠償請求権が与えられているからである。フランス法では,この損害が被害者の特定の権利の侵害によることは必要ではない。外国の多くの法ではこのようにはいかない。例えばドイツ法では,ドイツ民法典(BGB)823条で「故意または過失により他人の生命,身体,健康,自由,財産その他の権利を侵害した者は,その結果生じた損害を賠償する義務がある」と規定されている。それゆえに,ここでは〔ドイツ民法の損害賠償請求権の枠組みの中では〕,損害賠償義務を正当化するためには,権利の侵害が要件とされる。このような制度では、私生活や名誉の侵害,あるいは本人の同意なき肖像の公開に対して損害賠償を認めるためには,私生活の尊重を求める権利,名誉権,肖像権の存在を確認する必要があった。このようにして,「人格権(les droits de la personalié)」という概念が現れる。この概念はその後,フランス法にも移入され,このことは,人格権の保護と民事責任による一般的なメカニズムの分離を促進した。

 すべての人が自らの私生活(または名誉,肖像,氏名など)を尊重される権利を持っていると言われた時点から,この権利へのあらゆる侵害は,その権利者による行為を正当化するのに十分であると考えられるようになる。破毀院はこの点を何度か確認している。すなわち,民法9条に基づくと,私生活の侵害の事実確認(constatation)がなされただけで,賠償請求権が生じる,としている。私生活を暴露されり,同意なくして肖像を拡散された人は,フォート(ないしは民事責任を生じさせたいかなる所為(fait))も,被った損害も証明しなくてもよい。その一方で,この人は,損害賠償──民事責任の典型的な制裁(sanction)──のみならず,侵害の停止(したがって今回のケースのように,私生活を侵害する著作の公表の禁止)をすることができる。若干なりとも,人格権を所有権のように考えられなくもない。つまり,物を盗まれたり,隣人に侵害されたりした人は,自らの所有権を侵害がフォートの性質を有していることや(隣人は全くの善意(touts bonne foi)で行動していたこともある),損害を被ったこと(所有者は物や土地の端を使用していなかったかもしれない)を証明する必要なく,物の返還を要求したり,侵害をやめさせたりすることができる。権利の侵害は制裁を正当化するのに十分である。このように考えれば,Xは手を煩うことなく,明白に,彼の私生活を侵害している著作の禁止を手に入れることができたはずである。

 しかし,彼は上記の結論を手に入れることができず,この判決で示された解決策は(たとえそれが疑問であったとしても),私生活の尊重を求める権利(より一般的には人格権)の自律性(autonomie)が信じられていたほど完全ではないことを痛感させられた。本件のF・ Xの訴えを退けるにあたり、破毀院は以下のように指摘した。「国民戦線の事務局長(secrétaire général)であるXの性的指向の暴露されたこと…,及び私生活を侵害されたことを確認した上で,判決は,当該著作上の,一般的利益(intérêt général)な話題によるこの人物の志向性の想起と,その一方で同性婚に関する法律の採択を機に同性愛者に対してオープンな姿勢を示した政党の発展に関連していることを考慮に入れた。このようにして,〔A〕著者により追求される正当な目的,表現の自由,そして批判情報の報道の自由と,〔B〕Xの私生活の保護との間には,合理的な比例関係(rapport raisonnable de proportionalité)があると考えられる。」 言い換えれば,この判決は,政治家の私生活の尊重を求める権利と表現及び公共情報の自由──このケースでは問題となっている情報の暴露を正当化しているように思われる──を衡量した。この分野に関する膨大な数の判例を見てみると,このようなバランスを取ることは常に行われており,当該権利は絶対的なものではないことが示されている。2003年の判決で表現されているように、「欧州人権規約の8条と10条及び民法9条の観点から理想的な規範的価値を有している,私生活の尊重を求める権利と表現の自由に関し,事件を審理する裁判官は,両者の間の均衡を求め,必要とあらば,最も正当な利益を保護する解決策を支持する義務がある」とされている。同様の考え方が──欧州人権裁判所判例を長く引用しながら──,2018年の判決にも見られており,そこでは,今回我々が扱っている事件と同じ事件について,今度はXの著作者に対する損害賠償請求を棄却している。

 私生活を侵害する出版物が正当化されるか否かを判断するために各ケースで裁判官が従事する評価類型は,民法1240条(旧1382条)に基づき,損害を与えた加害者の行動(comportment)がフォートの性質を有するかいなかを判断するために行われる評価と全く・そこまで変わらない。それゆえ,私生活の保護において本当はフォートの概念は抜け落ちていないのである。言うなれば,(表現の自由や公衆に情報を提供するという一般的な利益によって正当化される場合を除いて,)私生活に対するあらゆる侵害は原則としてフォートの性質を有し,さもなくば他の利益により正当化される(司法審査が必要な場合や債務者の遺産状況を知る債権者の権利など)と言える。損害──民事責任の基本条件であるところの──についても,人格権の保護と無関係ではない。もちろん,私生活を侵害されたり,許可なく肖像を公表された被害者は,被害を受けたことを証明する必要はないが,このことはあらゆる精神的損害についても同様に当てはまる。かつてリパート(Ripert)が書いたように,この種の損害については,「誰もが被害者を作り出す」のであり,ある所与の社会において,苦しみや不便さを生み出すと考えられる事実から常に推定されるものである。さらに,私生活の尊重を求める権利の民事責任法からの自律性を認める判決でも,実際には,損害賠償を正当化するために損害について裁判官により主観的に評価されており,民法9条自体が「損害賠償請求」を規定しているとされる。結局のところ,この条文と同じ表現により,被害者が請求することのできる所為は損害賠償請求であり,その侵害に対する禁止は民事責任法と競合しない。けだし,多くの領域で,裁判官は賠償に加え,侵害的状況(situation dommageable)の停止(違法な仕事の中断,不正競争を構成する商業活動の停止など)を命じることができるからである。その上,民事責任改革案では1266条の責任の効果の内部で,「契約外の事項につき,被ったであろう損害の賠償とは別に,裁判所は侵害(dommage)を防止し,又は原告がさらされている違法な妨害に終止符を打つための合理的な措置を定めることができる」と規定されているが,これは9条で私生活の侵害における特定の場合に規定されていることとさほど変わらない。

 このようにして,私生活の尊重を求める権利(より一般的には人格権)の保護が民事責任法と完全に異ならないと主張することは,しかしながら,そのような権利を主張することの有用性を否定するものではない。一方で,──絶対的なものではないとしても──主観的権利=法の観点から推論することで,これらの権利の侵害が違法であるというある種の推定を制度化しているために,被害者の作業〔立証〕がかなり容易になる。他方,これらの権利の影響は,侵害の制裁という問題を優に克服している。特に私生活の尊重を求める権利は、あらゆる種類の積極的な措置の採用を支持する強力な論拠となる。 例えば,欧州人権裁判所トランスセクシュアルの市民的地位の変更を欧州評議会の加盟国に認めさせたのは,この権利のためである。個人情報の曝露に対する個人の保護が強化されているのはそのためである(最近の欧州データ保護規則はその成果である)。民事責任法との関係が問題になるのは,ある人が自分の権利に対して特定の侵害を受けた場合に限られる。