悩むという価値,口先だけの人間にはなりたくない

自分の進路の悩みを他人で解消できるのか

どうも,pompombackerです。ついに北海道でも桜が咲き始め,大学内でもちらほら春の訪れを感じてお昼寝をしています。

最近,文学部の子や学外の芸術専攻の子と進路について少しばかり語り合う機会があって,思ったことを書いていこうと思います。

彼らと話していて「簡単には答えを出せないだろうな」という進路の悩みを聞くことが多かったです。そのなかで相談相手としての自分は尽くひ弱,脆弱だなと痛感しました。頑張って相談に乗ろうとしても,自分でもなんかはぐらかされたような感じがする,言わばかみごたえがある肉だと思ったのにすぐ溶けてしまったような感じがしたのです。

そう。他人の今後の人生を左右し得るような答えを僕は出すことができませんでした。もちろん自分の考えが100パーセント相手の人生に影響することはほぼ0パーセントですが。

そう考えていったら自分の進路は自分で悩み続けて行くことにしか答えはないのだと分かりました。相談はただ単にその手段の小さな一つだと。僕自身自分の進路に答えを出せないでいます。僕はこの悩む時間を苦しいですが大切にして生きたいと思います。

大学に行けば司法試験や公務員試験に燃えている人がいて,かといってゼミに行けばオタクたちが聞いたこともないような難しい思想家たちの名前をペチャクチャと口泡をつけながら話している。こんな光景を見ると自分もなにかしないと!と思ってしまうのですが,焦らず,いま自分にできること(法学)をやっていくことがひとまずの正解かなとも思っています。

生き急ぐことなかれ。

傍観者にはなりたくない

これに付随して,「批判だけしている傍観者」にはなりたくないと最近は強く感じています。

言うは易し。するは難し」です。実行をするかどうかが人間の大きな分かれ道なのかと思います。実行には一定の「けじめ」と言うものが必要です。これを持てるかどうか…

誰かに「あなたって口で言うことは大きいけど,結果が伴ってないのよ。ちっともダメじゃない」って言われて,辛い気持ちになりましたが「口先だけの奴らよりかはマシ」と思ったら頑張れると思いました。

読者の皆さんには夢があるかい?

僕は自分自身が持っているのかどうかさえわからない。ただ実行すらしなければ自分の存在すら見失うだろうし,なんの価値も生産できない人間になっちゃうんじゃないかって思っています。