近代的所有権概念(1)

Ⅰ  近代的所有権の意義

   

  一般に,近代所有権は伝統的所有権の発展とされる。すなわち,所有権(物権)の絶対性・排他性・直接支配性はローマ法の延長線上だという理解である。しかしそれは所有権概念の扱いそのものが異なっていたのであった。その意味で近代的所有権は「ローマ法から見ると,極度に変質したモンスター(注1)」と言えるかもしれない。

  我が国の所有権の規定を見てみると,所有権とは「法令の制限内において,自由にその物の使用,収益,処分をする権利」(民206条)である。つまり物に対する「全面的な支配をなしうる権利(注2)」と言えよう。そして基本書を紐解けば(注3),所有権特有の性質として①使用・収益・処分が別個ではなく一体として観念され(渾一性),②制限物権の制限を受けても一定の時期に円満な状態に復帰し(弾力性),③消滅時効にかかることもない(恒久性,民165条2項)ことが挙げられている。これらが実定法上の近代的所有権の意義と言える。

  また,近代的所有権の移転は当事者の意思のみによって生ずる(民176条)。もっとも物権として完全に成立する,すなわち第三者に対抗するには動産なら引渡し(民178条),不動産なら登記が必要になる(民177条。なお,我が国では対抗要件主義を取っており公信力はないとされる)。また以前に所有者がない動産は所有の意思により所有権を取得する(民239条1項)。基本的にすべての物について人が関与する限りにおいて所有権が存在し,なおかつ所有権の取得は伝統的所有権のそれに比べて甚だ容易である。もちろん我が国の民法では重要だと思われる財産に対して「登記」や「登録」といった一定の手続きを踏まなければならないが,ローマ社会が物の重要度(手中物/非手中物)により伝統的所有権の付与を判断していたことを勘定に入れれば,それでも所有権はおおよそすべての物に及び,相対的に身近な存在となる。

  しかしながら,所有権は本権として保護される(追跡性)。これは現代社会では本権の立証は難しくはなく(注4),伝統的所有権の取得の一形態で見られた使用取得による所有権の移転がないことから所有物を取り戻せるという「予測可能性」が働くことになる。これはローマ社会で見られたbona fidesなる信用形態とは全く異なる(注5)。

  では,こうしたある種の「強い権利」とも言える近代的所有権は近代社会にとってどのような意義を持つのだろうか。

  我が国の民法学者の中で所有権を特別視する者は少なくない。すなわち,「近代社会の財産法秩序は所有権秩序であ」り,「物的財貨を原則として個々人に帰属せしめ,一方相互に他人の財貨を侵害することを禁止する」(注6)。この財産法秩序の基礎概念こそが近代的所有権概念に他ならない。

  このような所有権が存在する根拠を巡って様々な言説がある(注7)。ロックはアメリカにおけるフロンティア開拓をモチーフに労働力の投下が所有権の根拠と説いた(労働理論)。ベンサムは「私的所有を認めるのが,社会全体の富の最大化に資する」,すなわち功利主義を根拠として所有権を見た。ヘーゲルは自由意志の現実的な基礎として所有権を置いた。これに対してマルクスヘーゲルを批判しながらも「商品交換」として所有権メカニズムを説いた。

  これらの言説はすべて批判できる。労働理論に対しては先住民であったインディアンの所有を指摘し,西洋中心主義的だとして後ろ指を指す。ベンサム功利主義的理解・マルクス資本論的理解(=川島所有論)は後述する近代的所有権の問題に鑑みれば相対化することができる。ヘーゲルの自由意志的所有権理解についてはそもそも「自由意志」なるものの実態は解明不可能であるし,それを根拠に置いたところでまた別の「自由意志」という問題が生じてくるだけである(注8)。

  所有権の根拠を説明する試みがことごとく失敗するのはなぜだろうか。それは,近代的所有権概念が,まさに数学における公理と同じように,絶対的な根拠のない(,あるいは同義反復的な)概念に他ならないからだ。だから意義は説明することができても根拠を説明することはできないのである。

 


1)木庭顕『新版 ローマ法案内 現代の法律家のために』(勁草書房,2017年)141頁。

2)星野英一民法概論Ⅱ(物権・担保物権)〔合本再訂版〕』(良書普及会,1981年)112頁。

3)例えば,淡路剛久ほか『民法Ⅱ 物権〔第4版〕』(有斐閣,2017年)130頁。

4)吉田邦彦『所有法(物権法)・担保物権法講義録』(信山社,2010年)116頁参照。

5)木庭(2017年)。ただし,ローマ社会ではbona fidesを向ける相手は当然契約の当事者になるが,現代社会においては法システムそのものに対する信用・依存そのものは増加していると理解している。

6)来栖三郎「民法における財産法と身分法(三)〔未完〕」『来栖三郎著作集Ⅰ 法律家・法の解釈・財産法』(信山社,2004年)340頁。ここでの「侵害」は,伝統的所有権における瑕疵ある所有の理由としてのいわゆる違法行為(=ローマ法における「不法行為」)ではなく,もっと拡いものとして理解するべきである。

7)以下,前掲書(注4)31-34頁参照。

8)近代における自由意志の批判的検討として,小坂井俊晶『神の亡霊 近代という物語』(東京大学出版会,2018年)313-377頁参照。