近代的所有権概念(2)

前回(近代的所有権の意義)からの続編。

近代的所有権概念(1) - pompombackerの徒然

 

Ⅱ  近代的所有権の社会的機能

 

  近代的所有権は大きく4つの社会的機能,すなわち①解放機能,②包摂機能,③商品交換機能,④単純化機能,を持つ。ただし,これらは相互に関係していくがゆえに,なるべく相互の関係を論じながらも分類していきたい。

  ①解放機能

  近代社会の中で近代的所有権は近代社会が近代社会たるシンボルとしてある役割を果たす。それは中世社会の封建関係・教会の特権といった〈しがらみ〉からの解放に他ならない。所有権(物権)が持つとされる絶対性はここにあるともいえる。つまり〈しがらみ〉を介さない所有権主体付与により「主権がまさに公的な支配権を包括した完全な国家主権であるための不可欠の条件(注1)」としての私有財産の不可侵が近代で現れる。この社会体制変換は市民革命と呼ばれる。 

   ②包摂機能

  フランス革命では私有財産の不可侵が理念の1つとして掲げられた。この理念を掲げた主体は「市民社会」に他ならない。〈しがらみ〉から解放された人間は新しい枠組みとして市民社会に包摂されたのである。ところで,近代的所有権も市民社会という社会に存在している以上,近代的所有権にもある種の社会性があるはずであるが,「所有権の私的性質は,〔中略〕高度の・全体社会構造的な社会性を自らの中に含んでいながら,しかも所有者の『自由』意思として独立し,所有権の内在的な社会性に対抗して,それ自身の運動をなし得る(注2)」のである。つまり近代的所有権の私有的性質が基礎としてあり,その上で社会性すなわち社会的性質を纏う。「近代的所有権の社会的性質は,その私的性質の基礎の上にあり且つそれとの矛盾・対抗関係にある(注3)」。我が国の民法の権利濫用禁止条項(民1条3項)は近代的所有権が有する社会的性質の具体例として理解することができよう。

  また,市民革命では市民社会と同時に近代国家が誕生した(注4)。近代国家と市民社会は相対するものと一般的に考えられる。両者の関係は,近代において分化した公法と私法の関係にパラレルであるが,ここにも近代的所有権の包摂機能が働く。すなわち,市民社会が「市民」を取り込むと同時に近代国家の権力が及ぶ土台を作ったのであり,近代社会は「市民」をより抽象化し「社会の構成員」として包摂したのである(注5)。

  ③商品交換機能

  近代社会を商品交換社会(=資本制社会)と捉えたとき,近代的所有権はどのように写像されるであろうか。

  近代的所有権が持つ抽象的・絶対的な性質により共同体的な〈しがらみ〉から人々は解放されたことは前述した。そして,人々は市民社会という社会に包摂され,個々人は「自由意志」を持った「人格」として描き出される。そこには理論的には人種,信条,性別,社会的門地や身分といった情報は捨象される。そのように考えると近代における商品の交換という行為によって「人間対人間の関係のすべての側面が物質的なものとして(注6)」還元される。この場合に所有権の移転という法律行為は商品交換のシグナルとして写像される。

  このような所有権の商品交換機能は,近代法における物権法と債権法を峻別するという。すなわち,契約時に当事者が直接所持しているか否かに左右されない,観念的な物の交換が「必然化するに至ったこと」を経済的背景として,そして「社会的分業が必然的につくりだすところの相互依存関係」を社会的背景に,近代的所有権が「独立のカテゴリーとして成立」した(注7)。経済的背景についてもう少し踏み込んで考えると,貨幣による社会内でのドグマ的価値の存在が不可欠ということがわかる。社会の外部の者にとっては何の価値も有していない貨幣が社会構成員内では価値を持っていると共同して担保することで,貨幣を媒介した商品交換の機会が「交換された給付や交換当事者,場所や時間の状況,そして交換条件を知らずとも,(注8)」予測することができると考えられる。そして,この貨幣の幻想的価値は社会に包摂された市民たちは無条件で受容する必要があるのだ。

④単純化機能

  このような商品交換機能はなぜ理念的な市民社会をも包摂できたのだろうか。言いかえれば,近代的所有権の包摂機能が経済システムの中でなぜ機能するのか。

  結論から言うと,包括機能は経済システムと異なる次元で機能しており,経済システムの中ではコミュニケーション複雑性の縮減化,すなわち単純化機能に写像される。市民社会に包摂された本来素性が異なる個人は市民として相互にコミュニケーションをするためにより複雑性を縮減し,単純化させる必要があったのである。貨幣という要素を媒介とした経済的コミュニケーションが経済システムであるから,この中で商品交換シグナルとしての所有権は「所有/非所有」という二元的図式主義的な情報(=コード)へと単純化される(注9)。

  このようなコードとしての役割を近代的所有権(ないしは所有すること)が担えたのかというと,やはり近代的所有権の絶対性の付与に他ならない。経済システムの中では「所持と非所持の明白な差異(注10)」を表すとともに法システムの中でも「所持=『事実上の支配』としての占有」と「占有を正当化する『本権』としての所有権」という構造に単純化することができるのである(注11)。

 


1)勝田有恒ほか編『概説 西洋法制史』(ミネルヴァ書房,2004年)223頁。

2)川島武宜『所有権法の理論』(岩波文庫,1987年)33頁。

3)前掲書(注2)36頁。

4)ここでの近代国家とは,いわゆる近代国民国家である。すなわちウェストファリア条約に確立される主権国家ではなく,中間団体が解体し個人が市民として存在する段階を指す。

5)尾崎一郎「所有権概念の社会的機能」法律時報1334号(日本評論社,2019年)84,85頁参照。また,包摂機能の利点として,現代社会に至る近代社会の大規模化,複雑化,流動化に対応できたことが挙げられる。より多くの人と物を近代社会に包摂したところで公理としての所有権は存続したし,むしろ強調されるような存在となった。

6)前掲書(注2)26頁。

7)前掲書(注2)44頁参照。

8)N・ルーマン『制度としての基本権』〔今井弘道・大野達司訳〕(木鐸社,1965=1989年)185頁。前掲書(注2)157頁も同旨。

9)大澤真幸『社会システムの生成』(弘文社,2015年)342-414頁参照。特に372頁以下。なおここで大澤真幸は所有することそのものを経済システムから社会システムに変換しているようにも思えるが,これは自明視して良いのだろうか。すなわち,社会システム(全体社会)が経済システムを包含するとした場合,社会システムという「全体そのもの」を実体的に捉えることができるのだろうか。もし実体的に記述することができるならば,我々が個々に存在している社会を見渡すことができる超越的な全体的視点を認めることになるが,このような視点の記述は全体社会に生きている人間によって可能だろうか。

10)N・ルーマン『法システムと法解釈学』〔土方透訳〕(日本評論社,1973=1988年)83頁。

11)前掲書(注4)85頁参照。